日本大好き、昭和大好き。麦の子ブログ。

[昭和レトロ記事満載!!]生まれた日本、育った昭和の時代を見詰めた自分探しの旅へ。

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[昭和28年]こどもの心。サンテグジュペリ「星の王子さま」

星の王子さま

ショッピングセンターやデパートで、子供の絵が展示されています。
子供の描いた絵を見る度に、いつも感心しますよ。
配色や構図に、知識や技術があるワケではありません。
大胆のようで…繊細のようで…奔放?爛漫?とでも言うのでしょうか?

良く広告の世界では、イラストレーターが子供の絵を真似して
クレヨン画のようなビジュアル表現をすることがあります。
どことなく、構図がしっかりしていたり、配色が絶妙だったり、
手慣れた技術と知識が、チラチラ垣間見えてきます(汗)
広告であれ、テレビであれ、子供というキーワードを、
宣伝目的に使うのは、実に大人な考え方ですね。

20世紀の巨匠、パブロ・ピカソは晩年、
「長くかかったが、やっと子供のような絵を描けるようになった」
「こども」の心に辿り着いた心の内を、そう言葉に残しています。

誰もを魅了する「こども」の心とは…どんなものでしょう?

1953年(昭和28年)3月。岩波書店から、1冊のファンタジーが発刊されました。
アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ作「星の王子さま」です。
1943年にアメリカで出版されたその本は、1億部以上出版され、
今もなお、世界の人々に愛され続けています。



サンテグジュベリにとって「星の王子さま」は、
自分の心の中にいる「こども」がテーマです。
普遍的な子供のイメージを、大人の「こども」に呼び掛けています。

…大人は、誰も、はじめは子どもだった。
…(しかし、そのことを忘れずにいる大人は、いくらもいない。)
と、作品の冒頭で語っています。
子供の心を失ってしまった大人に向けた1冊の本でした。

更に、「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない。」の言葉は、
あまりにも有名な一節ですね。

「こども」の心とは、カタチでしか見ない…カタチに拘る大人には、
見えないものなのかもしれません。


物語の中……「ぼく」はある日、小さな星からやってきた王子と出会います。

王子さまが暮らしていたのは、一つの家ぐらいの小さな星でした。
バオバブの木は、成長すると王子の星を覆い尽くしてしまいます。
毎日毎日、自分の星を点検し、薔薇の木とバオバブの木を見分けては、駆除しています。
日没になると夕陽を眺めます。
小さな星だから、いつも腰掛けている椅子を少しずらしただけで、
夕陽を追うことができました。
ある日、王子は、一日に44回も夕陽を眺めました。
「そんなに夕陽を見るなんて、寂しかったんだね。」とぼくは言いました。
王子は…何も言いませんでした。

夕暮れって、子供心に寂しい思いをしたものです。
大人になった今でも、夕暮れを見ると、センチな気分になります。
心の「こども」がそうさせるのでしょうか?

夕暮れは、「こども」の心の扉を開く、鍵のように思えてなりません。


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| 戦中・戦後の時代 | 11:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[昭和20年]この島を守る一日の重み。硫黄島の星条旗。

硫黄島

私は、乙女座です(笑)子供の頃、夏休みが終わりに近づく頃、
家族に、誕生日を祝ってもらいました。
もうすぐ、二学期が始まる時期の誕生日です。裏寂しい気持ちでしたね。
更に寂しい思いにさせられたのは、その前に終戦記念日を迎えるからです。

終戦から二十数年頃…。
当時、8月15日の終戦日に合わせて、多くの戦争映画や終戦特集が、
新聞記事欄やテレビ番組で放映されました。
戦争を知らない世代ではありますが、どこか戦争というモノを
文字や映像を通して、肌で感じて育ってきたような気がします。

しかし、そんな感傷的な事よりも、最悪な心配事は、
遊び呆けて、夏休みの宿題が、大半残っていることです(汗)
あれほど親に「大丈夫なの?」と言われながら、後回し後回しです(笑)
後、2日?いや…後1日、時間があれば…
と、幾つの夏休みを過ごしたことか…(泣)


終戦が半年後に迫る太平洋戦争末期、1945年。2月19日。

アメリカが5日で終わると思っていた戦争を
36日間、守り抜いた日本人たちがいました。


東京の南約1,080Km。東京都小笠原諸島に属する小さな島…硫黄島。
圧倒的戦力のアメリカ海兵隊が、硫黄島奪取のために上陸作戦を敢行。
同年3月26日。栗林忠道中将以下、最後の総攻撃を仕掛けるモノの玉砕。
36日間に及ぶ硫黄島の戦いは、終結しました。

太平洋戦争において、アメリカの戦死傷者が、日本軍を上回った最大の激戦地です。
深夜、この戦いを題材にした「硫黄島からの手紙」と言う映画を静かに観ました。



日本・アメリカ合わせて5万に及ぶ死傷者を出した硫黄島の戦いで、
その36日間の一日とは、どんな長さだったのでしょう…?
映画を観ながらそう思い続けていましたね。

今を生きる私の一日と、意味に違いはあるのだろうか?
映画の中で、渡辺謙が演じる栗林中将が叫びます。

我々の子供らが、日本で!!
一日でも長く!! 安泰に暮らせるなら、
我々が、この島を守る一日には、意味があるんです!!
と。

栗林中将が守りたかった一日は、
日本人が、一日と言う時間を長らえるだけの一日ではありませんでした。

同刻、アメリカでは、情報統制された日本とは違い、
硫黄島の戦いが、新聞を通して、日々刻々と報道されていました。
最強を誇った海兵隊員が日本軍に、次から次へと倒されている事実を
アメリカの人々は、正確に伝えられていたのです。
5日で終わる戦いが、まだ落ちない、まだ落ちない…まだ落ちない…
そして、36日後…硫黄島の摺鉢山の頂上に、星条旗が立ちます。

「硫黄島の星条旗」と呼ばれたこの写真は、
同年、権威のあるピューリッツァー賞・写真部門を受賞します。
そして、戦争に疲弊したアメリカ国民を高揚させるために利用されたのです。
星条旗を立てた6人の海兵隊兵士は、英雄となりました。
英雄として祭りあげなければいられないほど、
アメリカの人々は、日本人を脅威に感じたのでしょうね。

一日でも長く!! この島を守る一日には、意味があるんです!!

「硫黄島の星条旗」は確かにアメリカ国民の高揚につながったでしょう。
しかし、星条旗を結わえたあのポールは…
戦場にあった、日本軍が使用していた水道管でした…。

日本国民に…アメリカ国民に問いかけた一日の重み…
一日一日を大切にしたいですね。

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| 戦中・戦後の時代 | 20:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[昭和27年]ジャパン!ジャパン!メイドインジャパンは奇跡。

メイドインジャパン

今から10年前、何をしていましたか?

2002年の時、地元の岐阜を離れて、石川県金沢市で、デザインの自営をしていました。
IT・WEBが社会を大きく変える途上でしたね。

自分は、1961年生まれです。生まれる10年前、日本はどんな時代だったのでしょう。

1951年。そこは、日本で有りながら日本ではありません。
1945年に敗戦を迎え、戦勝国である連合国が、日本を統治をしていました。

所謂、GHQです。日本の国旗を振ることが許されない時代です。
敗戦から7年、1952年。
サンフランシスコ平和条約(1951年9月署名)が発効され、日本に主権が戻ります。

この歴史を、当然自分が肌で感じることはありません。
生まれる10年も前の話です。いや、たった10年前の話です。
主権を取り戻した日本は、怒濤の快進撃を始めます。
「東洋の奇跡」と呼ばれた日本は、経済大国に至ります。
両親や祖父母…多くの日本人がしゃにむに頑張った結果の奇跡だと思います。

近代日本史。自分の生きた時代を振り返れば振り返るほど、
日本の短所も長所も大好きになっていくのが分かるんです。

正しい歴史を学ぶことは、正しい未来を作ること。
そう思えてなりません。

しかし、昨今、隣国、韓国・中国の新聞メディアから
不条理な情報を耳にすると、居た堪れない。
日本の文化や技術が、伝承や交流、提携や協力と入ったまっとうな方法ではない…
捏造や虚偽、模造や偽造で手にした文化や技術に何の意味があるのだろう?

自分は絵を描きます。真似る行為が、絵の技術を高める事は知っています。
しかし、真似た絵をオリジナルと言う神経は持ち合わせていません。
いくら絵の技術が高くても、それは贋作としか呼ばれません。
オリジナルを作り出す事がどれほど大切か?
デザインの現場に入るからこそ、痛烈に感じますね。

真似る事から始めた新生日本は、たゆまぬ努力と汗をかきながら、
「東洋の奇跡」を生みました。
その奇跡は、単なる数字ではなく、
日本オリジナルを生み出して来た奇跡だと思うのです。

GHQの時代、日本で作られた製品は
Made in Occupied Japan(占領下日本製)の刻印がされていました。

日本で製造されただけの意味を持つ刻印ではなく、
日本の技術で、日本の技術者や職人がオリジナルを作り出す奇跡…

それこそ…Made in Japanです。





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| 戦中・戦後の時代 | 17:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[昭和33年]丼にお湯を注いでハイ!出来上り。チキンラーメン。

チキンラーメン

深夜、遅くまで仕事をし、小腹が空いたらコンビニへ。
いつでもどこでも…が便利な時代ですね。

子供の頃、お腹が空いても、夕暮れ時、「ご飯ですよ」の母親の声がしない限り、
空腹を満たすことが出来ませんでした。
小遣いで、おやつを買ったとしても、空腹を満たす為ではなく、あくまでもおやつです。

子供の頃、テレビに夢中で、ご飯を食べていると、
「ちゃんと食べないとお腹が空くよ」と母親に叱られました(汗)

早く食べるという「時間」で怒られるのではなく、
ちゃんと食べるという「量」で怒られていました。

だってねぇ~。しっかり食べて置かないと、
次の朝まで、グウグウお腹を空かせる事になるんですから。

1958年(昭和33年)8月。お湯をかけて「ハイ出来上り」のチキンラーメンが誕生。
自分が生まれる3年前の話です。当時、うどん玉が6円のご時世に、
チキンラーメンは35円です。高級品ですね。

夕飯まで、待ちきれない子供にとって、インスタントラーメンは欠かせない存在です。
待ちきれずに、蓋を開けようものなら、麺はまだカリカリ状態です。
「なんで、待てないの~も~」と、
早い遅いの「時間」で怒られるようになりました。


人は成長すると、量より時間で
怒られるようになるのでしょう。

確かに、中学の頃、朝の食事の時は
「この子ったら、早く食べないと遅刻するよ」でした(汗)

チキンラーメンはその手軽さから、最近でもよく食べます。
丼に麺を入れ、皿で蓋をして、3分待つのだぞ(笑)
おや…待ち時間は、本当に3分?。
この3分と言う時間は、カップヌードルに影響された時間ですね。
チキンラーメン発売当初のCMでは、
「お湯をかけて2分でできるラーメン」がキャッチフレーズ。
いやはや、ずっと勘違いをしていたようです。

ラーメンと言えば、藤子不二雄の漫画に登場する
天然パーマの「ラーメンの小池さん」が有名です。
でも、あの小池さん。実は、小池家に下宿している鈴木さんだったんですね(汗)
いやはや、これも勘違いです。

この歳になっても、母親は「ちゃんと食べてる?」と叱ります。
歳をとると、運動をしないこともあって、思うほど食べられません。


「しっかり、栄養のあるものを食べるんだよ」

あっ、「量」の事じゃないんだ(汗) これは、痛い勘違いです。



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