日本大好き、昭和大好き。麦の子ブログ。

[昭和レトロ記事満載!!]生まれた日本、育った昭和の時代を見詰めた自分探しの旅へ。

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
fujisan.co.jpへ  ●にほんブログ村 BLOGランキングに参加しています。
 ●人気ブログランキングに参加しています。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

[昭和42年]CM表現の革新、ニットのレナウン「イエイエ」

レナウン「イエイエ」

低学年の頃、子供の事を「ボウ」と呼んでいました。
「そこの坊主」の「ボウ」です。子供の事を坊主と呼び、更に略して「ボウ」です(笑)
「そこのボウ!!」 今考えれば、乱暴な言い方のように思いますが、
敗戦から十数年、まだまだ、その傷は癒えることなく、
一心不乱、遮二無二に頑張る日本の土壌では、
未熟者や経験の浅い役立たずな大人でさえ「坊主」と平然と呼ばれていました。
一人前の国になる事を鼓舞し続けた時代の呼称です。

朝起きると、ガチャコン・ガチャコン…機屋から聞こえてくるリズミカルな音を、
自分も含め、同じ小学校に通う友達の多くが聞いていたように思います。
それぐらい、岐阜には繊維業に関わる仕事が多かったんです。
隣町は、繊維の街で全国に名をはせた尾州・一宮なんです。
学校の帰り道、機屋をしているの友人宅に寄ると、決まって工場を覗きます。
高価で珍しい機械に目をキラキラさせ、
出荷箱のあちこちにある「ボウ」の文字を見つけては、
「ここにもボウがいる。ここにもボウ!!」
坊主(ボウ)である自分が、格下のボウを見つけるように、はしゃいでいましたよ(笑)

ボウとは、所謂、紡績会社の事。
紡績を主力にする会社は大抵「ボウ」が付きます。
カネボウは「鐘淵紡績」。クラボウは「倉敷紡績」。TOYOBOは「東洋紡」。
地元の紡績会社の多くもボウが付いています。

朝早くから夜遅くまで、ガチャコン・ガチャコン…途切れる事の無い音を響かせながら、
この時代の日本は、戦前に主力だった紡績・繊維の世界で、
再起を図ろうとする世界経済への坊主だったのかもしれません。


60年代、天然繊維の時代から、レーヨン、ナイロン、ポリエステルといった合繊の時代へ。
縦糸横糸の織物だけでなく、伸縮性に優れたメリヤス=ニットの時代へ。



1967(昭和42)年春。レナウンから新しいニットファッションのあり方として、
TVCM「イエイエ」を放送開始。
このCMは、日本のテレビCM史上に残る分岐点のような作品となりました。
原色を多用し、サイケ調な広告表現は、
今までの色彩表現にはなかった斬新な試みでした。
その斬新性は世界にも認められ、日本で初めて国外のCM作品賞を受賞し
日本のCM製作のレベルを国際級に押し上げたCMともなりました。

その後の繊維は、80年代半ばまで怒濤の快進撃を続けてゆきます。
日本の経済性成長を立派に支えて、「ボウ」から大人に変化していきました。
しかし90年代以降、繊維業界はその勢いを失い、
中国・東南アジアの繊維生産の台頭で、日本の繊維業界は衰退を余儀なくされます。
2010年には、レナウンは中国傘下の連結子会社になってしまいます。(残念なことです)

再起を図るには「ボウ」から始めればいい。

繊維業界が斜陽を迎える80年代後半から、
ファッション・アパレル向けの繊維だけではなく、斬新な試みが始まっていました。
人を装うのではなく航空機素材・工業素材といった機械を装う繊維へ。
炭素繊維やガラス繊維などの新素材が、鉄に変わる強度と耐性と共に、
今、日本から世界へ発信されています。


近所の機屋は、どうでしょう?今もガチャコン・ガチャコン…音を響かせています。
追求した高品質の織りを武器にして、世界に発信されています。
「ボウ」ではなく磨きの掛かった大人の姿で…。

イエーィ、イェーィ!!トレビアーン!!です。


シルヴィ・ヴァルタン。1965年20歳の初来日で録音し放映された
レナウンのCM「レナウン・ワンサカ娘」耳に残る曲でした(笑)
スポンサーサイト
fujisan.co.jpへ  ●にほんブログ村 BLOGランキングに参加しています。
 ●人気ブログランキングに参加しています。

| 1967年(昭和42年) | 16:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

[昭和42年]アメリカが最も恐れ、世界が最も愛した男チェ・ゲバラ。

チェゲバラ

人生であれ、仕事であれ、行き詰まった自分を変えようと思う時、
新しい何かに挑戦したり、勉強したりするものです。
しかし、そう分かっていても、なかなか行動に起こせないのも事実です(汗)
何かが足りない…その足りないものとは何でしょうか?

かつて、本気で世界を変えようとした男がいました。

1959年、カストロらと共にキューバ革命を成功させたエルネスト・チェ・ゲバラ。
「20世紀で最も完璧な人間」と語ったジャン・ポール・サルトル。
「世界で一番格好いい男」と叫んだジョン・レノン。
ゲバラは、アルゼンチンの裕福な家庭に生まれました。
医学生だった23歳のゲバラは、自転車に乗って南米大陸1万kmの旅をします。
そこで見た、貧しい人々の現実が、彼を革命家へと導いたのです。
当時、キューバはアメリカを後ろ盾とするバティスタ政権の独裁でした。
ゲバラは、独裁に苦しむ人々を解放するため、
カストロの右腕として、ゲリラ戦を戦い、そして、革命を成功させます。

ゲバラの信念は、決してぶれる事はありませんでした。
革命後も、権力者としてキューバに居座る事無く…
1966年。再び革命の戦い、ボリビアの地へ。
翌年1967年(昭和42年)10月8日。政府軍に捕らえられイゲラ村の小学校に収容。
翌日、政府軍兵士により、その命を絶たれます。
遠くを見詰めるゲバラの目は、閉じることはなく…
その顔を見た人々は、キリストを想像したと言います。

軍は、その亡骸の奪還と、聖地になることを恐れ、埋葬の地を秘密にしました。
しかしそれから30年。ゲバラの埋葬に関わった一人の老人が口を開きます。
「もう歳じゃ。このままチェの埋葬場所を喋らず死ねば、永遠に謎のままになっちまう」
1997年6月28日。ゲバラと6人の仲間たちの遺骨は発掘され、
現在は、遺族の住むキューバで、英雄として葬られています。



アメリカが最も恐れ、世界が最も愛した男。

ゲバラの死後、一人の男の「革命」は、若き学生達の心に火を付けていきました。
死の翌年1968年。民衆の反体制運動、戦後のフランスで最大の危機、パリ五月革命へ。
軍事介入まで発展したチェコスロヴァキアの変革運動「プラハの春」。
アメリカでは、ベトナム反戦運動の拡大へ。
1968年8月。You say you want a revolution(君らが望むのは革命かい)と歌った
「レボリューション」をビートルズが発表。
革命を象徴するゲバラは、その時代のヒーローになっていきます。
革命の心は、日本でも芽吹き、東京大学学生占拠に象徴される全共闘の活動へ。

当時、私は、モノの善悪などわからない小さな子供でした。
学生がヘルメットを被り、棒を振り回し、構内にバリケードを張り巡らし、
大声を張り上げる学生の姿に、得体の知れない力だけは感じていました(汗)
しかし、小さな子供に革命の心など分かろうはずがありません。

チェ・ゲバラは、教えています。自分の子供達に宛てた最後の手紙の中で
それをちゃんと、教えてくれています。

…この手紙を読まねばならない時、お父さんは側にいられないでしょう。
…世界のどこかで、誰かが不正な目にあっている時、
…痛みを感じることが出来るようになりなさい。
…これが革命家において、最も美しい資質です。

…子ども達よ、いつもお前たちに会いたいと思っている。
…だが今は、大きなキスを送り、抱きしめよう。~お父さんより

常に人の痛みの中に身を投じたからこそ、
チェ・ゲバラは、「世界が最も愛した革命家」と呼ばれたのでしょう。
そして、その力の源を…ゲバラ自身が身をもって教えてくれました。

貫き通す信念こそ、「本気」の正体。
全共闘のニュースを見た時に感じた、得たいのしれない力とは、本気…。

本気でぶつからなければ、現状は、何も変わらない!!

fujisan.co.jpへ  ●にほんブログ村 BLOGランキングに参加しています。
 ●人気ブログランキングに参加しています。

| 1967年(昭和42年) | 17:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。