日本大好き、昭和大好き。麦の子ブログ。

[昭和レトロ記事満載!!]生まれた日本、育った昭和の時代を見詰めた自分探しの旅へ。

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[昭和48年]力と技の風車が回る「仮面ライダーV3」

仮面ライダーV3

1971年から放送された仮面ライダー1号2号の活躍は、
その人気の高さに支えられて、2年の長きに渡り放送されました。

撮影中のバイク事故により、本郷猛役の藤岡弘さんに変わって登場した
一文字隼人役の佐々木剛さんは、2号ライダー役でありながら
二輪バイクの免許が無かったと言います(汗)
本郷猛ライダーがバイクに乗ったまま、ベルトの風車を回すのに対して、
佐々木剛ライダーは、バイクに乗らず、
「変身~!!」と叫んでジャンプする事で
ベルトの風車を回すスタイルを確立しました。

このスタイルこそ、仮面ライダーの代名詞「変身!!トーーー!!」です。
免許を持っていなかった事が幸いしたエピソードですね。

いつの頃からか、元科学者の設定と藤岡弘さんのスマートさもあってか、
「技の1号」と呼ばれ、自力で風車を回し、力強い変身ポーズから
「力の2号」の呼ばれるようになりました。

事故の怪我から復帰した本郷猛ライダーは、
肩から2本のストライプをあしらい、新ライダーとして復帰します。
1号2号が揃ったダブルライダーの登場は、
まさに夢の競演…狂喜乱舞でしたよ。


さてさて、この怪物番組を越えられるものはいるのでしょうか?



…赤い 赤い 赤い仮面のVスリー
…ダブルタイフーン 命のベルト
…力と技の風車が回る(主題歌歌詞より)

1973年(昭和48年)2月。直接的な続編として「仮面ライダーV3」放送開始。
ショッカーによる改造ではなく、1号2号ライダーの手によって
改造された仮面ライダーV3は、
力と技を併せ持つライダーとして誕生します。
変身ベルトも「ダブルタイフーン」のいいとこ取り。


登場する怪人と言えば…
●ハサミ+ジャガーで、ハサミジャガー。
●カメ+バズーカで、カメバズーカ。
●テレビ+バエで、テレビバエ。
●ハンマー+クラゲで、ハンマークラゲ。
●ナイフ+アルマジロで、ナイフアルマジロ。

昆虫や爬虫類、動物単体をモチーフにした怪人が登場する前回と比べ、
V3に登場する怪人のコンセプトは、動物+機械。
異なるものを組み合わせることで、その造形は輝きを放ちます。
実際、番組を観ていた子供達の目は輝いていましたね(笑)

更に、V3のカラーリングは、緑に赤。補色を利用した色の際だちは、
子供の目に強烈な印象を与えます。
そして忘れてはならないのが、「V3」と叫ぶ時です。
淡々と言葉通り「ブイスリー」と叫んではいけません。

「ブイ・スリャァァァァァァァァ」です(笑)

ココ間違えると、友達から笑われます。あはは。
語尾をシャウトすると事で生まれたインパクトは、
未だに脳裏に焼き付いています。
もう何から何までが、ダブルの怪物級。熱い熱い、濃い濃い…。
シリーズ最高視聴率の38%を記録し、その記録はいまだに破られていません。

仮面ライダーを1号2号と見続け、そして3年目のV3…。
3年…3年とは、子供が熱にうなされ、燃え尽きるのに十分な時間ですね(汗)
そして、V3の最終回…。
首領を倒した風見志郎は1人バイクを駆って、夕陽の中へ…

「目的を果たした改造人間・風見志郎は
今一人、何処ともなく去り行こうとしている。」
と、ナレーションは締めくくられます…。

少年は、仮面ライダーに憧れ、仮面ライダーを見て、少し大人になりました。

…仮面ライダー~…ありがとう。と言わずにいられません。

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| 1973年(昭和48年) | 21:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[昭和48年]ノーベル物理学賞受賞、江崎玲於奈博士。

江崎玲於奈

「夢がない」と悩む人に、頑張れ!!と言う言葉は酷なようです。
目標である夢や希望が無いのに、何を頑張れと言うのか?と、
逆に聞き返えされて、話の進みようがありません。
「とりあえず、何でもいいから勉強してみよう~」と言うのが精一杯です(汗)

何のために勉強するのだろう~
勉強が出来る子の将来は、「末は博士か大臣か」

と、子供の頃、よく言われましたね。

1973年(昭和48年)。「トンネル効果」を利用したダイオード開発で、
江崎玲於奈博士が、ノーベル物理学賞を受賞しました。私が、小学校6年生の時です。
昭和24年に湯川秀樹博士が、昭和40年に朝永振一郎博士が、
ノーベル物理学賞を受賞しましたが、私は小さくて記憶がありません。
日本で3人目の江崎博士の受賞はまさに、世界に認められ、その名を残す事の大切さを
先生や親から、口がすっぱくなる程、言われましたよ(笑)あはは。

偉い人になるためには、勉強は大事なんです。

翌年、1974年(昭和49年)。佐藤栄作、元総理が、非核三原則の提唱で
ノーベル平和賞を受賞しました。
まさしく私の時代は、勉強を頑張る子は「末は博士か大臣か」の時代でしたね。

明治の時代は、帝国大学に限り、博士号の授与は許されていました。
お国のために得られた学位は名誉であり、敬意の称号でした。
しかし、今はどうでしょう。
博士号を有しながらも定職に就けないオーバードクターの問題が
クローズアップされています。

今の時代、勉強しても、偉くなれるとは限らないんですね。

勉強を、偉くなる最終目標にしてはいけない…。
「偉い」とは、所詮は他人が決めること。


ダイオード開発について、忘れてはならない一人の女性が居ます。
黒瀬百合子さん。
理学部を卒業しばかりの新人として、江崎玲於奈博士の助手になった女性です。
純度を高めるための実験を繰り返す中、
彼女は、「不純物を加える実験をさせて欲しい」と、提案します。

その結果、生まれたのがエザキ・ダイオードです。
ノーベル賞を連名でもらって、おかしくない話ですね。
しかし彼女は、博士がノーベル賞を受賞する前に結婚退社をします。

博士が、1973年、ノーベル賞を受賞した翌年1974年。
黒瀬百合子さんはひっそりと、病魔のガンによってお亡くなりになりました。
39歳。誰よりも、博士の受賞を喜んだに違いありません。
黒瀬百合子さんにとっての勉強とは、何だったのでしょう。

自分が誇らしく生きるために続けるのが、勉強のような気がします。
黒瀬さんにとって、博士に師事出来たことが、
最高の誇りだったような気がしてなりません。


誇りとは、刻まれて消える事のない永遠の輝き…。
ダイオード特許の公示には、しっかりこう書かれてあります。

発明者 江崎玲於奈
 同  黒瀬百合子

その功績は、未来永劫…刻まれ輝き続けることでしょう。
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| 1973年(昭和48年) | 21:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[昭和48年]「どてらい男」とは、痛快に勝つこと。商売の大事さを知る。

どてらい男

人は、付加価値を生み出し続ける生き物です。
しかし、付加価値だけでは、資本主義の社会は生きていけません。
付加価値を貨幣に換えなければ、生活さえままならないものですね。

デザインと言う世界にいると、グラフィックアートに拘るばかり、
夢や理想に入りすぎ、ターゲットである企業や消費者を忘れて、
自分の内なる世界に入り込み過ぎる人を見かける事があります。
とりわけ、駆け出しのデザイナーに良くあるパターンです。

商売の「商」の字は、商品のやりとり、契約。
商売の「売」の字は、得られた売上の事。

商品であれ、サービスであれ、発注された相手もしくは消費者に渡して、代金を得る。
代金を得てはじめて、自分の生活が出来、次の商品づくりが行えます。
まさしく、貨幣は経済の血液です。

私が、広告デザインの世界に見習いとして入った時、
不思議と広告がアートの要素を大事にしながらも、
経済活動のひとつだと、割り切れたのは、あるドラマの影響でした。



1973年10月より関西テレビで制作された西郷輝彦主演の「どてらい男」です。
故郷の福井から出て来た主人公山下猛造が、
大阪、立売堀の機械工具問屋に丁稚奉公に入り、
親友・尾坂と共に働き、商売の師たる大石将軍らに鍛えられて、
立派な商人(あきんど)に成長するドラマでした。

いや~このドラマを見ていた当時は、
未来がどうなるかさえ分からない小学生の子供でした。
問屋の主人や番頭からの執拗な虐めをハラハラしながら見ていました。
高視聴率に支えられ、戦後篇、激動篇、死闘篇、総決算篇とロングランのドラマとなりました。
中学の頃には、文豪の小説は2の次にして、花登筺の小説「どてらい男」を
少年週刊ジャンプ共々、読みふける…
なんとも頭の中がくちゃくちゃな少年でしたね(汗)

後に主演の西郷輝彦さんは、「どてらい男」が自分の芸能生活の
大事な分岐点だったと語っています。
また、「どてらい男」の面白さを、
…それまで花登先生のドラマと言うのは、細うで繁盛記にしても全部、
…耐えて、耐えて…耐えて勝つ主人公だったんですね。
…でも、初めてこの「どてらい男」は、
…耐えて耐えて…殴り返す。
…耐えて、殴り返して勝っていく。
…これが実に痛快でしたよ。…と。

確かに、その痛快さに心惹かれたのかもしれません。

そう言えば、ウルトラマンも、変身したらすぐ、スペシューム光線をバンバン出して、
怪獣をさっさとやつければいいのにと、思っていました。
しかし、怪獣と取っ組み合ってハラハラドキドキ…その内、カラータイマーがピコピコ。
ウルトラマンピーーーーンチ!!の瀬戸際で、スペシューム光線が炸裂です(笑)
「どてらい男」にヒーローを見ていたのかもしれません。

高度成長の時代、商売、経済で、日本はドンドン力を蓄えていきます。
オイルショックもなんのその…遮二無二に商売の世界で働くお父さんたちは、
子供たちのヒーローでしたよ。

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| 1973年(昭和48年) | 20:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[昭和48年]愛と誠。「早乙女愛よ、岩清水弘はきみのためなら死ねる!」

愛と誠

漫画や人物イラストを描く時、目に一番心血を注ぐといいます。
ギャグマンガから書き始めた私が、劇画に興味を持ったのは、
1973年、少年マガジンで連載が始まった梶原一騎作・ながやす巧画の「愛と誠」です。

コミック第3巻の表紙に描かれた、
主人公・太賀誠の目は涼しくて、
いつまでも忘れられません。

かすかにほほえんだ口元、太い眉毛、とがったあご…
何度も何度も模写したのを覚えています。
しかし…この通りには書けないんですよねぇ~(汗)
そのストーリーもさることながら、絵の参考書として、何度も眺めていました。

「愛と誠」のヒロインは、早乙女愛。財閥のブルジョア令嬢。
いつも子供の頃にスキー場で助けてもらった誠を
「白馬の騎士」のように思い続ける清潔で可憐な美少女です。
しかし、数年後、出会ったその少年は、
フーテン・タイガーと異名をとる札付きで凶暴な不良になっていました。
あはは…フーテンって(笑)寅さんじゃないんだからと、
今なら突っ込みを入れられますね(笑)

ネール元インド首相が娘に当てた手紙の中に
「愛は平和ではない、愛は戦いである。武器の代わりが誠であるだけで、
それは地上における、最も厳しく激しい、自らを捨ててかからねばならない戦いである。」
の一文が、「愛と誠」のタイトルの謂われになっています。

清楚と粗暴。金持ちと貧乏。精神と肉体…そして、愛と誠。
相容れる事のないふたつを物語の中に読み取りながら、
「愛と誠」の世界にはまっていったのを覚えています。



それから10年後の1983年。資生堂から、目力をコンセプトにしたCMが流れました。
シャネルズ改めラッツ&スターが歌う「め組のひと」です。

………
いなせだね 夏をつれてきた女
渚まで 噂走るよ めッ!
涼し気な 目もと流し目 eye eye eye
粋な事件 起こりそうだぜ めッ!
………
このCMを聴きながら、目に力を入れていた10年前の自分を思い出しました。
人気絶頂だったシャネルズはグループ名をラッツ&スターへ。
資生堂のCMなのにシャネルズではいかん。との噂もちらほら(笑)
ラッツ&スターは、「ドブネズミと星」です。
地と天。陰と光。卑しさと尊し…愛と誠を思い出さずにいられません。

しかし、思います。ラッツ&スター…
左から読んでも右から読んでも「RATS & STAR」です。

清潔で可憐な早乙女愛が、戦いへ挑みます。
札付きで凶暴な不良・太賀誠が、真の愛を知る物語が「愛と誠」。


ふたつでひとつ。なんですね。

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| 1973年(昭和48年) | 18:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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