日本大好き、昭和大好き。麦の子ブログ。

[昭和レトロ記事満載!!]生まれた日本、育った昭和の時代を見詰めた自分探しの旅へ。

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[昭和57年]夏のカネボウ化粧品、山下久美子の「赤道小町ドキッ!」

赤道小町

食べ合わせが悪いと言われているモノがあります(笑)
代表的なモノに鰻と梅干し。実は、根拠が無いことだと知りました(汗)
胃酸を分泌させ、食欲の増す高価な鰻を、贅沢への戒めとした言葉だとか。

逆に、組み合わせの良いモノがあります。
骨を丈夫にしたいなら、カルシウムですが、ビタミンDと一緒に接収することで、
カルシウムの吸収力を上げることができます。
若返りのビタミンと言われるEは、ビタミンCと合わせることで、
その持続時間が長くなると言います。

人も同じだと思うことがたくさんありますね。
仕事・家庭・趣味…一人で楽しむ時間も大事ですが、人と交わることで、
より充実した時間を得る事ができます。
ライバルの出現は、新しい発見や新たな方向性を教えてくれるものです。

人は、「組み合わせ」を善し悪しで判断するだけではなく、
時に…奇想天外な組み合わせを試みて、意外性を楽しむことがあります。
80年代前半の日本はまさに、感性を刺激する意外性が、
人を楽しませた時代だったのかもしれません。
「意外性」は、マーケティングの浸透と共に、CMを通して表現されました(笑)
とりわけ、70年代後半から激化した、化粧品のキャンペーン合戦は、
絢爛豪華さで、日本のCM史上に残る戦いを見せてくれましたね。




1982年(昭和57年)夏キャンペーン。
●カネボウ…赤道小町ドキッ!。by山下久美子
●資生堂…ナツダカラ、コウナッタ。by矢沢永吉
●コーセー化粧品…ドキドキ・サマーガール。byタケカワユキヒデ

コピーライティング的には、「赤道小町ドキッ!」は絶品ですね(笑)
「南国」よりも熱く感じる「赤道」の言葉に、
「女」より、しとやかで艶やかな意味を持つ日本的な「小町」の組み合わせは、
本当に「ドキッ」としました(笑)


その年、資生堂・春のキャンペーンでは…
意外なミュージシャンの組み合わせが話題になりました。
●カネボウ…浮気なパレットキャット。byハウンドドッグ
●資生堂…い・け・な・いルージュマジック。by忌野清志郎&坂本龍一
●コーセー化粧品…色つき女でいてくれよ。byザ・タイガース

忌野清志郎と坂本龍一のカップリングに、日本中が驚いたんじゃないでしょうか?
秋のキャンペーンには、漫才師として人気絶頂だったビートたけしが、
「OK!マリアンヌ」を歌い、コーセー化粧品からCMが流されました。
意外さを通り過ぎて、聴き惚れるその歌に、も~感服です(汗)

翌年、1983年(昭和58年)の夏キャンペーンは、まさに圧巻!!
ビッグタイトルが、がっぷり四つに組んで、CM戦争、ここに極まれり!!
●カネボウ…君に、胸キュン。byYMO
●資生堂…め組のひと。byラッツ&スター
●コーセー化粧品…夏女ソニア。byもんたよしのり&大橋純子

組み合わせとは、足し算ではなく、常に掛け算…。
掛け合わされた膨大な組み合わせの中から見つけるからこそ、ドキッ!!とします。
ほんの一握りの「ドキッ」を見つける事は、本当に至難の業です。

至難の「ドキッ」×至難の「ドキッ」で、更にドキドキ生きたいモノです(笑)

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| 1982年(昭和57年) | 13:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[昭和57年]再び見たい。再見「NHK人形劇・三国志」

三国志孔明

社会人になり、仕事を始めた頃、上司に読むように言われたのが、
吉川英治の三国志と山岡荘八の徳川家康です。
どちらも長編歴史小説の代名詞ですね。
確かに、人生に一度は読んで損の無い名作小説です。
多くの登場人物に出会い、その生き方に触れた時、
きっと、誰かに感情移入し、感化される事でしょう。


しかし、その当時、自身の活字離れのせいで、小説を読むことはありませんでした(汗)
特に日本の戦国時代モノとは違い、中国の戦国モノは、
難しい漢字の登場人物が多く、読み始めると、誰が誰だか分からなくなります(汗)
その苦手を克服させてくれたのが、「NHK人形劇・三国志」でしたね。
人形師・川本喜八郎氏の美しい人形は、未だに人気で、脳裏に残っています。
登場人物の個性を強調した演出、ストーリーテラーとして、
漫才師の紳助竜介が、複雑な物語をわかりやすくしてくれました。
全68話のストーリーは、NHK大河ドラマを凌駕するボリュームです。

1936年、新聞連載開始、吉川英治の歴史小説「三国志」。
1971年、コミック連載開始、横山光輝の漫画「三国志」。
1982年、テレビ放送開始、NHKの「人形劇・三国志」。
1985年、歴史シミュレーションゲーム発売、光栄の「三國志」。
その時代、その時代の新しいメディアで、三国志に何度も出会ってきました。
再び見る。再見してみるのもいいかもしれません。




三国志には、いくつも感動させられるエピソードがありますが、
私は何と言っても、「出師の表」ですね。

関羽が亡くなり…張飛が亡くなり…先帝・劉備がこの世を去った時、
蜀のすべては、孔明の肩にかかっていました。
どれほどの重荷を背負い…どれだけ、自分を律しなければならなかったのか?
227年。蜀の将来のため、孔明は巨大になった魏に戦いを挑みます。
「出師の表」は、北伐(魏への遠征)に出発する際、若き皇帝劉禅を心配し、
そして、蜀のすべての人々に自身の思い込めた諸葛亮の遺書です。

死を覚悟し、自分が戦死しても劉禅が蜀を治められるよう、渾身の助言を残すのです。

先帝・劉備から、息子である劉禅に国を治める力が無い時は、
貴方(孔明)が皇帝となって欲しい。
そう言われた孔明でしたが、彼は劉備への恩義から皇帝になる事はありませんでした。
孔明が、劉備の遺言を守り皇帝になっていたら、
蜀の未来は変わっていたのかも知れません。
しかし、孔明は劉禅の丞相として、蜀を守り抜こうとします。心血を注ぐ働きぶりです。
恩を忘れず義に厚い孔明だからこそ、時代を経ても、
その魅力に誰もが負けてしまうのでしょう。

「臣亮言」。臣下の諸葛亮が謹んで陛下に申し上げます。
と、「出師の表」は始まります。

私は、元来平民として南陽で畑を耕しつつ、乱世の中に何とか生き延びる事のみを考え、
世間に名を成そうなどという事を考えておりませんでした。
しかし、先帝は私の身分の卑しさなどまったく問題にせず、
尊い身分であるにも関わらず、自ら三度も私の草庵に足を運ばれ、
この私に世の中をいかに成すべきかとお尋ねになられました。
私は、感激しました。先帝の為であればいかなる苦労もいたわず奔走し、
働くことを決意しました。
…略
先帝は、御崩御にあたり、国家の運営と漢王朝復興という
大事の遂行をお任せくださいました。
私は、命を受けてこのかた、朝から夜遅くまで、功績があがらないことによって
先帝のご威光に傷をつける事の無きよう心がけてきました。
…略
才能薄い私ではありますが、持てる力のすべてを尽くして、
魏の悪人達を一掃し、漢王室を再興して旧都に帰りたいと思います。
これこそが、先帝のご恩に報い、陛下への忠誠を顕す私の責務であると考えています。
…略
もしその任務が失敗に終るようなことがあれば、
私の罪を明らかにし量刑に処した上で、先帝の霊前にご報告ください。
…略
私は、先帝より頂戴したご恩への感激に耐えられません。
今、まさに国を遠く離れ、北伐を行うべきと考え、この表を書き始めたものの、
涙が溢れ出て何を申し上げてよいか、わからなくなってしまいました。
……



戦い半ばで、命を落とした孔明…。
先帝・劉備への思いが、ひしひしと感じられます。

再見(ツァイ・チェン)。

中国語で「再見」は、さよなら、ご機嫌よう…そして、また逢いましょう。

きっと、あの世で、巡り会い。
劉備・関羽・張飛…そして、孔明…。
桃源で園で、盃をかわしているのかもしれません。

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| 1982年(昭和57年) | 19:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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