日本大好き、昭和大好き。麦の子ブログ。

[昭和レトロ記事満載!!]生まれた日本、育った昭和の時代を見詰めた自分探しの旅へ。

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[平成18年]親と子の絆、奇跡のヒーロー・ウルトラマンメビウス。

ウルトラマンメビウス

今、子供に安心して見せられる番組や漫画が少なくなりました。
暴力や残虐性、性表現が際立ち過ぎて、刺激が大きすぎる風潮があります。
映像表現はリアリティを増し、血が飛散し、苦悩に歪む顔がアップで映し出されます。
バトルの為のバトルを繰り返し、大人のドラマ顔負けのドロドロした人間模様が
物語を構成します。「子供向け」と題しながら、成年に向けた番組が多いですね。
今の時代「子供向け」は、利益が低いと考える企業が多いのでしょうか?
ありふれた「夢」や「希望」というコンセプトでは、番組が成り立たないのでしょうか?

大人から子供へ。親から子へ。
大人が子供に伝え続けなければならない大切なモノとは、
今の時代にありふれたように感じる、
夢や希望…友情や信頼のように思えてなりません。


そんな夢や希望を教えてくれる番組は、さて、あるのでしょうか?
いや、あります。2006年(平成18年)4月8日に放送を開始した、あのヒーローです。

そのヒーローが番組に登場した時、ナレーターはこう語ります…

…今から、ちょうど40年前、地球は怪獣や侵略者の脅威に晒されていた。
…人々の笑顔が奪われそうになった時、遙か遠く、光りの国から彼らはやってきた。
…ウルトラ兄弟と呼ばれる頼もしいヒーロー達が…

ウルトラマンシリーズ誕生40周年記念作品と題された「ウルトラマンメビウス」は、
平成の子供達の前に、宇宙警備隊のルーキーとして登場します。
そしてメビウスの教官は、昭和ウルトラマンの末っ子ウルトラマンタロウです。
昭和の時代のウルトラマンが、事あるごとに番組に登場し、未熟なメビウスを助けます。
メビウスは成長し、本当のウルトラマンになっていきます。

私も子供の頃、ブラウン管を通して、ウルトラマンからたくさんの事を教わりました。
そして、40年が経ち、今、メビウスが大切な事を子供達に教えています。
youtubeの動画コメントには、こんなのがありました。
「僕は今年高校三年生になりました。
それでもウルトラマンが好きなのは変わりません。
泣きたい時や悲しい時に、彼らは僕らに元気をくれます。
だからウルトラマンは僕の、いや、みんなのヒーローです!」と。

親の世代から子供の世代へ。親が感じたあの感動を、
今の子供たちと共有できるとすれば、
まさに「ウルトラの奇跡」と呼ぶに相応しいでしょう。




東日本大震災で活動する自衛隊の写真と共に、メビウスの挿入歌が流れています。

その動画のコメントには、こんな言葉が綴られていました。

「自衛隊の皆さん、有難うございます。
子供達の活き活きとした笑顔も力をくれます。素晴らしい♪」

「何の見返りも求めず、ただ困っている人たちを救いたい。
正に彼ら、彼女らはウルトラマンだよね。ありがとう!」

「ウルトラマンは身近なところにいたんだ、ありがとう自衛隊のみなさん。」

「この国は、ウルトラマンを生み出した国。光の国は、日出ずる国。
だから、心の中にウルトラの心があり、誰もがウルトラマンになれる国。
困ったときには、皆、ウルトラマンに変身しましょう。」
と。

第一回放送、怪獣と対峙するウルトラマンメビウスの初登場シーンで、
その姿を見守る群衆の中に、肩車をされた子と親の姿がありました。
子供はメビウスを指差しながら、こう言います。
「あれ?パパが小さい頃に見たって言ってた??…」

「ああ~ウルトラマンだ!!」

親子に渡ってウルトラマンです。ウルトラの心は継がれてゆきます。

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| 2000年代(平成12年以降) | 16:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[平成12年]シューマッハ、セナの生涯勝数41勝に並ぶ。

シューマッハ

偉大さ凄さと言うものは、その時代の高揚さを
肌で感じなければ、なかなか分からないものです。

極東の小さな島国から、モータースポーツの王道フォーミラー1へ。
HONDAの参戦は、一部マニアに認知された小さな出来事でした。
あるドライバーとの出会いが、本田技研を「世界のHONDA」へ押し上げ、
日本人にまざまざと、その事実を教えてくれました。

その男に出会えたことが、宝物…。

男の名は、アイルトン・セナ(Ayrton Senna da Silva)。
音速の貴公子と呼ばれたF1ドライバーです。
HONDAと共に世界の頂点に君臨した男…。日本の誰もが愛した男…。
さまざまなバトルを繰り返し、絶対不利なスタートから、チェッカーフラッグを受け
「神を見た」と、言葉を残した男…。

ホンダからウィリアムズ・ルノーへ移籍した1994年。第3戦サンマリノGP。
超高速タンブレロコーナーでクラッシュし、彼は本当の「神」になりました。

その瞬間をテレビで見ていて、これほど心配で…
これほどショックなことはありませんでした。

その時、後にF1界の皇帝と呼ばれる事になる若きミハエル・シューマッハは、
セナに憧れ…その憧れのセナを脅かす存在になっていましたね。9つ違いです。
セナがクラッシュした時、その直後を走り、
憧れのセナの事故を誰よりも間近で見たドライバーでもありました。

憧れの人を愛し、追い抜く事で、その憧れを昇華させたかったのでしょう。
誰もが、世代交代というシーンに見かける男の戦いでもあります。

しかし、シューマッハは、セナを抜くことなく、目の前で憧れの存在を亡くします。
その時から、シューマッハの孤独な戦いが始まったのかもしれません。
独裁者のように「皇帝」と呼ばれ…それでも勝ち続けた彼の胸中を
私は、想像する事も出来ません。

そんな彼が、記者会見の席上、泣き崩れました。
その光景を見た時、シューマッハのセナへの憧れ・尊敬…彼にしか分からない
得体の知れない思いを感じつつ、ついつい目頭がウルウルしたのを覚えています。



2000年(平成12年)9月。ミハエル・シューマッハは、イタリアGPで、
セナの生涯勝数41勝に並びました。
席上、優勝インタビューが続く中、ある記者がシューマッハに質問します。

「これで、セナの持つ通算41勝に並びましたね。」

「…」(嗚咽)

シューマッハから、言葉が消えました。感情を抑えきれず、涙を流す彼を
両脇のハッキネンとラルフが、肩をさすります。
今まで、涙を流すことなく、F1サイボーグと呼ばれた冷静さはそこにありません。

憧れが、目標をつくり、人に力を与えます。
目前の憧れが消えた時、人はまた、一人で立ち向かう力を持ちます。


憧れが、自分を成長させる力の源である事を、
セナとシューマッハの関係を見て、そう思わずにはいられません。

シューマッハが強くあればあるほど、セナの偉大さは間接的に伝わってきます。
その時代を知る人は…その時の感動と凄さを
今に伝え続けなければいけないように思います。

昭和の時代を代表した男、アイルトン・セナは、昭和の宝物ですね。

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| 2000年代(平成12年以降) | 17:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[平成24年]スポーツカー再び!!トヨタ86・スバルBRZ。

トヨタ86

小学校の頃、我が家にマイカーが来ました。
記憶に乏しくて、どんな車だったか? はっきり覚えていません。
覚えていることと言えば、360ccで軽だった事。
親戚の住む神戸へ遊びに行き、郊外に住んでいた親戚の家まで、多くの坂道を越えた事。
4人乗りの車重は重くて、その坂道を登り切れるかどうか?
しきりに父親が心配していたこと(汗)
4人乗った車内は狭くても、不思議にその狭さが心地よかったこと。
当時は子供でしたからね。狭くても十分ですよね。それが、車との出会いでしたね。

月日が経ち、私が免許を取る頃には、車はマイ(ファミリー=家族)カーから、
家族の一人一人が乗る、本当のマイカーになっていました。
憧れはやはり、スポーツカーです。
トヨタセリカ、日産スカイライン等の
GTモデルが憧れの的です。
GTエンブレムは、スポーツカーの証でした。


「どこにでも行ける」車の到来は、
「どうせ行くなら速く!!そして、カッコよく!!」

スポーツカーの持つステイタスが、当時の若者にすんなり溶け込んでいきました。
安い給料に見合わないローンを抱え、下手をすると、
数日ごとに満タン決めてプロロロ~んです(笑)
リッター4だの5だのと、低燃費の自慢話を良く聞きましたよ(笑)

その後、車は「どうせ行くなら豪華に行く」に変わります。
ハイソカーの登場です。

そして、アウトドアな4WDが人気となり、ワンボックスカーが人気となり…
「どうせ乗るなら経済的に」「どうせ乗るなら、環境に優しく」…
車は、知らず知らずのうちに、格好いい乗り物から変化してしまいました。



かろうじて、走る格好良さを教えてくれたのは、ゲームや漫画でした。
峠をグリグリドリフトしまくるスプリンタートレノ・AE86の「頭文字D」
度胸一発、公道最速走行、フェアレディZ・S30改の「湾岸MIDNIGHT」
日本の市販車から、世界のスーパーカーまで乗れる
プレイステーションゲーム「グランツーリスモ」シリーズ。

2012年(平成24年)4月。トヨタとスバルから久しぶりにスポーツカー出ました。
当初は30代に、スポーツカーを楽しんで欲しい。というコンセプトでしたが、
蓋を開けると、「GT」エンブレムのステータスを肌で知ってる40~50代に大受けです。



そして、SUBARU BRZ GT300のプロモーションムービーです。
CGでは語り尽くせない実写の凄さが分かります。格好いいですね(笑)
でも、思うんです。グランツーリスモのオープニングって、
スポーツカーが希薄になっていく時代に、CGという技法で、
走ることのスピリッツを保持してくれていたんだと…


グランツーリスモの正式名称は「GT(Gran Turismo)」ですから…

スポーツカーの系譜が、ずっと続いて欲しいですね。

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| 2000年代(平成12年以降) | 18:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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