
子供の頃、テレビは、娯楽のおもちゃ箱でした。
しかし、そのおもちゃ箱のおもちゃで、どうしても遊べないモノがありました。
夕飯を間近に向かえ、アニメタイムが始まる6時代のニュースです(汗)
父親は、感心しきりうなずいたり「どうなってるんだ」と憤慨したり。
ニュースと言うのは、大人を
あれほどまでに興奮歓喜させるんですね。二十歳になれば、成人式を迎え、日本人なら等しく選挙権が与えられます。
当時の私は、選挙権を大人になった証と思っていただろうか?
社会や国の事などに、それほど関心はありませんでした(汗)
車やファッション・音楽…自分個人が楽しいことが唯一の関心事です。
安い給料の中から、高額な月賦を払い、車を買って乗り回していると、
「そんなに乗り回して、タダじゃないんだぞ」と親は怒ります。
「自分で買ったんだから、良いじゃないか」と私は逆ギレ状態です(汗)あはは。
車検代・修理代・ガソリン代…すべて親持ちの身分で、
良くもまぁ~大人気取りでいたものだと、
つくづく思いますよ。(汗)1983年12月。成人となり、迎えた大きな選挙が「第37回衆議院議員総選挙」でした。
それまで、日本の政治は、自民党独裁の時代です。
「和の政治」をスローガン掲げながらも、マスコミからは直角内閣・暗愚の宰相と揶揄された
第70代内閣総理大臣・鈴木善幸氏の時代です。田中角栄氏の影響が大きかったんですね。
鈴木善幸氏の後を受け、第71代内閣総理大臣なったのが、中曽根康弘氏です。
これまた田中角栄元首相の後押しで政権を握ったと言われています。
そんな田中角栄氏が、ロッキード事件の裁判で実刑判決を受け、
向かえたのが「第37回衆議院議員総選挙」です。結果は惨敗。
自民党の歴史だった一党独裁は消え、連立政権が始まった激動の選挙だったんですね。
良く、子供の夢の一つに「総理大臣になる」なんて事を当時良く言われていましたが、
大平正芳氏・鈴木善幸氏と続いた総理は、なんと言いましょうか?
なんであんなに爺臭い風貌なんだろう~って。(笑)次に総理となった中曽根康弘氏も、えええ、また~って感じです。
国家から成人として認められ、大人になったばかりの私の政治の印象は、
実に子供っぽかったと言わざるを得ません。
しかし、不思議と中曽根康弘氏の印象は、政権が長く続く中で変わったように思います。
アメリカに憧れもありながら、アメリカに卑屈さを少し感じていた時代です。
アメリカ大統領と並んで「ロン、ヤス」と対等に呼びあっていました。
レーガン大統領は、俳優出身で、風貌がずば抜けて垢抜けていた分、
横に並ぶ日本の総理も垢抜けた印象を与えてくれました。
何よりも、日本がバブル景気に突入する元気で熱のある時代でもありました。
中曽根康弘氏は、太平洋戦争の折り、海軍将校として従軍しました。
戦死した仲間達の遺体を火葬しながら、こんな句を詠んでいます。
…友を焼く 鉄板を担ぐ 夏の浜
…夏の海 敬礼の列の 足に来ぬ
そして、こう語ります。「彼ら、戦死した戦友をはじめ、いっしょにいた二千人は、
いわば日本社会の前線でいちばん苦労している庶民でした。
美辞麗句でなく、彼らの愛国心は混じり気のないほんものと、身をもって感じました。
「私の体の中には国家がある」と。政治評論家竹村健一氏は、中曽根氏から畏友と言われながらも
「体の中に国家を持っている」政治家として、中曽根氏を敬愛していたと言います。

2012年12月。「第46回衆議院議員総選挙」
自民党が掲げたキャッチコピー「日本を、取り戻す」が、心を打ちました。
取り戻す日本とは、どんな日本でしょうか?
あれから30年、私は、大人になったのでしょうか?
日本…国家というモノをどれほど深く感じてきたのだろう?昨晩8時を過ぎ、NHKの出口調査による速報は、自民党いきなりの圧勝をつげます。
ニュースと言うものが、これほどまでに興奮歓喜させるとは。
あれれ…20代初めの頃とは違う、自分が居ましたよ(笑)
スポンサーサイト