日本大好き、昭和大好き。麦の子ブログ。

[昭和レトロ記事満載!!]生まれた日本、育った昭和の時代を見詰めた自分探しの旅へ。

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[昭和62年]芦毛の怪物。記憶の最強馬オグリキャップは男だよ。

オグリキャップ

サラブレッドとは、勝つために生まれた競走馬のことです。
人の生き方に、「サラブレッド」を当てはめて、表現することがあります。
実績を残すことを宿命づけられたサラブレッドが、
その期待通りの成績を残した時、
「最強」の名を手にするのでしょうか?


じゃ、最強の競馬馬は何?
競馬評論家の井崎脩五郎氏は、「競馬史上最強の馬は、ディープインパクト」であると。
2010年の競馬雑誌「優駿」が行った「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち100」のランキングで、堂々の1位を獲得したのもディープインパクト(2004年-2006年活躍)でした。
無敗の3冠馬と言われた、申し分のないその実績と絶大な強さは、社会現象となり、
競馬を知らない私でさえ、名前を覚えているくらいですから…
華麗にして、天才さを感じますね。

私は、競馬場に足を運んだことも、馬券を買ったこともありません。
そんな競馬を知らない私が。どうしても忘れられない一頭の馬がいます。

私は、営業で、良く岐阜と愛知の県境である木曽川の堤防を走ることがあります。
信号の少ない堤防を通り、岐阜方面へ向かうと、右手に見えてくるのが笠松競馬場です。
地主との兼ね合いでコースの内側には、今も畑が存在してます。
何とも特異で、のどかな光景でしょう。

そんなのどかな地方競馬からデービューしたのが、
後に「芦毛の怪物」と呼ばれたオグリキャップです。

オグリキャップ

彼は、サラブレッドとして生まれながら、致命的な障害を持って生まれてきました。
障害を抱えた仔馬が無事に育って欲しいと、
名付けられた幼名が「ハツラツ」です。

ハツラツは、人なつっこく、調教時も遊ぶ感覚だったと言います。

1987年1月、笠松競馬場の鷲見昌勇厩舎に入厩。名を「オグリキャップ」と変えます。
1987年5月のデビュー戦で2位を飾り、1位・1位・2位。
続く8月からのレースは怒濤の8連勝。
そのハツラツとした強さから、中央競馬への声がかかります。
しかし、馬主の希望はあくまでも「笠松競馬で活躍させてやりたい」と。

このまま、笠松のオグリキャップで終わらせていいんですか?

その一言がオグリキャップを、サラブレッド中のサラブレッドが競い合う
戦いのど真ん中へ押しやります。
地方競馬から出てきた、姿も芦毛のその馬が、ふたつみっつ勝ったところで、
そうそう簡単に力を認めてくれないモノです。時にヒール扱いもあったでしょう。

「白い稲妻」と呼ばれたタマモクロス。
「平成の盾男」と異名を取るイナリワン。
「鹿毛の天才馬」スーパークリーク
地方から出てきた一頭の馬が、ライバルたちと熾烈な戦いを繰り広げます。

どうやらオグリキャップは、
ホンモノの怪物らしい。

そう、誰もが気づいた時には、武豊の人気も重なって、日本中が大ブームとなりました。
競馬場に足を運んだことがない女性たちが、黄色い声を上げていました。
そのブームの過激さは、逆にオグリキャップを戦績不振へと繋げてしまいます。
競馬を知らない取材陣が、ところかまわず、密着取材と称して撮影するんですから、
人より過敏な馬ですよ、ストレスは溜まりますよ~(汗)



1990年5月、安田記念1着。6月、宝塚記念2着。
10月、天皇賞6着。11月ジャパンC11着で惨敗。
戦績が下降する中でむかえた12月の有馬記念は、ラストラン、引退レース。
成績不振にも関わらず、引退レースに多くのファンが中山競馬場に詰めかけました。
私も、テレビを見ていました。自分の意志で見る初めての競馬中継でした。
オグリキャップの最後の勇姿を看取るつもりのそのレースは、
一生、忘れられないレースとなりましたね。

ハツラツと呼ばれた仔馬が、「芦毛の怪物」として、ラストランをウィニングゴール!!。
「オグリ!オグリ!!」と鳴り止まぬ観客の歓声の中、走り抜ける一頭の馬に涙が出ましたよ。
馬券は買っていません。だから、擦った儲けたの感情は、そこにありません。
ただ、ただ…「男だよ。あんたは」と。

勝つために生まれた競走馬をサラブレッドと言うなら、
残した戦績で、ディープインパクトにオグリキャップは、
足元にも及ばないのかもしれません。
しかし、人の心に残した感動と勇気を考えれば、
オグリキャップもまた最強の名馬です。


1991年1月、笠松競馬場で引退式が行われました。
人口2万3千人の笠松町に、人口を上回る4万人の人たちが集まりました。

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| 1987年(昭和62年) | 22:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[昭和62年]コクとキレ、ドライ戦争勃発。アサヒスーパードライ。

アサヒスーパードライ

歳を取ると、病気や健康に気をつかうようになります(汗)
栄養指導を受けた折り、高血圧に気をつけるように言われました。
特に塩の取りすぎは注意です。
2010年4月、厚生労働省により「日本人の食事摂取基準」は、
男性は1日10g未満から9g未満に、女性は8g未満から7.5g未満へと
低減され、厳しくなりました。
結構、この数字は厳しいですよ~(汗)

特に日本の食文化は、味噌や醤油が欠かせません。更に塩付けの漬け物…etc
栄養指導を受けた人なら分かると思いますが、
もうもう~何食べたらいいのよ~と目が点になること請け合いです(笑)

1950年代当時の日本は食塩摂取量が20gを越えていたと言われています。
第一次産業や肉体労働が生活を支えていた時代は、食塩摂取量もこれで良かったのかも。
しかし、時代は高度成長を過ぎ、デスクワークの時代へ。
エアコンで室内の温度管理された事務所で、汗をかくことが少なくなりました。
ちょっとそこまでの道のりも、歩くことなく自動車ですよね。

更に肉中心のメニューも増え、油、脂肪の取り過ぎも注意。
何よりも、食の多様化で、濃い味付けのモノが
どんどん増えて行きました。




そんな、食の嗜好の変化を背景に、1987年3月。
夏の暑い日にクーーーと一杯、ビールに革命を起こした
アサヒスーパードライが発売されました。
実は、私は余りビールを飲みません。
それまでのビールは、「苦い」イメージしか無かったからです。
しかし、このドライビールは油の消費量が20年前に比べ倍に増えた時代に
苦味を抑え、甘さも少なく、食べながら飲むことを考えたビールでした。

仕事帰りに居酒屋へ行くと、日頃ビールを飲まない私も、
なぜかついつい、ドライビールを注文していました。
飲まない人まで、飲ませてしまうこのビールは、当然大ヒットです。
ビールはキリンと豪語していた人たちまで、アサヒドライビールに手を伸す始末…。
1996年6月、ビール界の巨人キリンを抜いて、月間シェアNo.1の座につきましたね。

どえりゃーい(どりゃい)ことです←あはは、名古屋弁です(笑)親父ギャグです(汗)

飲みやすいからって、
調子に乗ってると酔いすぎます(笑)


このドライは、従来のビールよりアルコール度数が高いんです。
えっ高い!!心拍数がバクバク…わ~血圧に悪いかも~~~(泣)
飲み過ぎで、中性脂肪に注意!!ううう~

心をドライにしないと、身体が持たなくなりますね(汗)

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| 1987年(昭和62年) | 20:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[昭和62年]JR「X'mas Express」と国内初の携帯「NTT TZ-802」

NTT携帯(TZ802型)

iPhoneやAndroid携帯のシェアが増えていますね。
映像・インターネット・電話・メール…手の平にすっぽり、ポケットにしっくり。
自分で楽しむのも、人に伝える事も、その場、その瞬間に行えます。
便利な時代になりました。

子供の頃、友達と遊びたい時は、決まってアポ無しでした。
玄関先まで行って「○○君~!!遊ぼ~!!」と声をかけるのが日常でしたね。


いなければいないで、家の人に言付けをして、別の友達の家へ。
決まった公園や空き地で遊んでいると、
言付けを聞いた友達が後から後からやってきます。
それが、子供の頃に身につけた約束の仕方でした。

1987年。国鉄が分割民営化され、JRとなりました。
岐阜に住んでる自分になじみなのは、やっぱり「JR東海」ですね。
新幹線の「岐阜羽島駅」は、今も昔も人の出入りが多い駅ではありません(汗)
車通りも少なく、出来た当時、整備された駅周辺は、
格好の子供の遊び場でもありました(笑)



日本国有鉄道からJRへ。民営化の第一歩であるイメージの払拭は、
翌年1988年から始まるクリスマスエクスプレスのCMで、
大きく拭えたような気がします。若い深津絵里ちゃんが可愛いですよね。

新幹線から、降りてくる彼をなかなか見つけられないもどかしさ…と、
来るか来ないかわからない彼女を待っている歌詞が、CMの映像とマッチして、
山下達郎の「クリスマス・イブ」が、
この時からクリスマスシーズンの定番ともなりました。

乗り遅れて、待ち合わせ時間にホームに着けない時、
あなたなら、どうしますか?
携帯があれば、こんなもどかしさは無いのかもしれません。


きっと、その答えは、待ち続けること…。

空き地で遊びながら、声をかけた友達を「きっと、来る」と信じていました。
そんな信じて待つ事が、素敵な時代でもありました。


しかし、同時期1987年。NTTから国内初の携帯(TZ802型)が登場します。
土建業を営む後輩がいち早く買って見せにきました。
初めて見るその携帯はごつごつとして、とてもポケットに入る代物ではありません(汗)
しかし、至るところで、人と連絡をする後輩を見た時、
新しい時代の「伝える」を感じましたね。
保証金20万円。基本が月額が3万円。
使いまくったら10万円は月にかかると後輩は嘆いていました。
とてもとても、当時デザイン見習いの自分としては、手に入れるのは無理でした(汗)

そして現在、誰もが携帯を持っています。
待つ事、待たされる事に、ソワソワではなく、イライラしていませんか?

携帯が浸透し、新しい「伝える」時代になっても、
約束したこと、されたこと…「約束」の重みだけは変えたくないものです。

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| 1987年(昭和62年) | 18:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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