日本大好き、昭和大好き。麦の子ブログ。

[昭和レトロ記事満載!!]生まれた日本、育った昭和の時代を見詰めた自分探しの旅へ。

2013年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年11月

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[昭和45年]日本人の心の琴線に触れるメロディー「京都慕情」

京都慕情

ゲコゲコと大合唱していた田植えの時期を過ぎ、
実った稲穂を刈り取る季節になると、リーンリーンと、涼しげな音を奏で始めます。
若い頃は、気付かずにいた虫の音を、歳を取ると妙に敏感に感じるものですね。

昔、虫の音を理解する美的感覚を持った民族を日本人だ!!
と語った文人がいました。

あの怪談「耳無芳一」で有名な小泉八雲です。
日本人の心を知り尽くしたかのような、この一言を発した彼は、
実は、ギリシア生まれのイギリス人でした。名をパトリック・ラフカディオ・ハーン。
フランス・イギリスで教育を受けた後、1890年(明治23年)、
彼はジャーナリストとして日本へ来ます。島根の松江中学で英語教師をしながら、
西洋にはない神秘的な日本の姿を多くの作品に残しています。

20代の頃、山陰を旅行した時、小泉八雲記念館を訪れたことがあります。
そこには、虫の収集家として有名だった彼のあの「虫かご」もありましたよ。
虫の音に、日本人の美を捉える着眼点は、まさに日本人以上に日本人かもしれません。

彼は、新聞記者時代、「オールド・セミコロン」というあだ名を持っていました。
句読点の一つにも拘りを持ち、書き上げた記事に一切手を加えさせなかったと言います。
七五調に代表される日本文学の言葉の韻律・リズムに魅力を感じ、
「語り聞かせる文学」こそ、小泉八雲の世界なのでしょう。


明治の時代、日本は西洋に憧れ、西洋の文化・技術を取り込んでいきました。
真逆に日本の美や心の素晴らしさを教えてくれる西洋人の存在があったとは、
なんとも日本人として恥ずかしい思いがします(汗)



時は流れて、高度成長も一段落し始めた1970年代。
西洋のカルチャーがドンドン日本に入ってきました。
若者文化が花咲き始めた頃、一曲の歌が、西洋に被れ始めた日本人に
日本の和の素晴らしさを呼び起こさせてくれ、曲はヒットを飛ばします。
1970年(昭和45年)12月。渚ゆう子が歌う「京都慕情」です。
日本の和、京都の情緒溢れるそのリズムは、多くの日本人の心を捉えました。
翌年、NHK紅白歌合戦の初出場を果たし、名実ともに昭和歌謡のひとつとなりました。
50代・60代の人にとって、聞けばしんみり、日本を感じずにはいられません。

この日本人の琴線に触れるメロディラインを生み出したのは、
なんとアメリカでロックの殿堂入りも果たした
ザ・ベンチャーズ(The Ventures)なんですね。
日本にエレキブームを巻き起こし、「テケテケ」と称されるそのリズムは
ビートルズと並んで、当時の多くのミュージシャンに影響を与えています。
日本での公演回数は50回を越え、2010年には春の叙勲で旭日小綬章を受章しています。

日本人の心を改めて教えてくれたのは西洋人。
そう、軽々しい表現で結論づけたいところですが、
小泉八雲の文学は、立派な日本文学です。
ザ・ベンチャーズの旋律は、ベンチャーズ歌謡として、
日本歌謡界の一部となっています。


日本の素晴らしさは、日本を愛し、日本から愛された人々が教えてくれます。
日本の素晴らしさを知りたければ、
日本を慕う情が、深くないといけないと言う事のようです。
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| 1970年(昭和45年) | 21:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[昭和42年]CM表現の革新、ニットのレナウン「イエイエ」

レナウン「イエイエ」

低学年の頃、子供の事を「ボウ」と呼んでいました。
「そこの坊主」の「ボウ」です。子供の事を坊主と呼び、更に略して「ボウ」です(笑)
「そこのボウ!!」 今考えれば、乱暴な言い方のように思いますが、
敗戦から十数年、まだまだ、その傷は癒えることなく、
一心不乱、遮二無二に頑張る日本の土壌では、
未熟者や経験の浅い役立たずな大人でさえ「坊主」と平然と呼ばれていました。
一人前の国になる事を鼓舞し続けた時代の呼称です。

朝起きると、ガチャコン・ガチャコン…機屋から聞こえてくるリズミカルな音を、
自分も含め、同じ小学校に通う友達の多くが聞いていたように思います。
それぐらい、岐阜には繊維業に関わる仕事が多かったんです。
隣町は、繊維の街で全国に名をはせた尾州・一宮なんです。
学校の帰り道、機屋をしているの友人宅に寄ると、決まって工場を覗きます。
高価で珍しい機械に目をキラキラさせ、
出荷箱のあちこちにある「ボウ」の文字を見つけては、
「ここにもボウがいる。ここにもボウ!!」
坊主(ボウ)である自分が、格下のボウを見つけるように、はしゃいでいましたよ(笑)

ボウとは、所謂、紡績会社の事。
紡績を主力にする会社は大抵「ボウ」が付きます。
カネボウは「鐘淵紡績」。クラボウは「倉敷紡績」。TOYOBOは「東洋紡」。
地元の紡績会社の多くもボウが付いています。

朝早くから夜遅くまで、ガチャコン・ガチャコン…途切れる事の無い音を響かせながら、
この時代の日本は、戦前に主力だった紡績・繊維の世界で、
再起を図ろうとする世界経済への坊主だったのかもしれません。


60年代、天然繊維の時代から、レーヨン、ナイロン、ポリエステルといった合繊の時代へ。
縦糸横糸の織物だけでなく、伸縮性に優れたメリヤス=ニットの時代へ。



1967(昭和42)年春。レナウンから新しいニットファッションのあり方として、
TVCM「イエイエ」を放送開始。
このCMは、日本のテレビCM史上に残る分岐点のような作品となりました。
原色を多用し、サイケ調な広告表現は、
今までの色彩表現にはなかった斬新な試みでした。
その斬新性は世界にも認められ、日本で初めて国外のCM作品賞を受賞し
日本のCM製作のレベルを国際級に押し上げたCMともなりました。

その後の繊維は、80年代半ばまで怒濤の快進撃を続けてゆきます。
日本の経済性成長を立派に支えて、「ボウ」から大人に変化していきました。
しかし90年代以降、繊維業界はその勢いを失い、
中国・東南アジアの繊維生産の台頭で、日本の繊維業界は衰退を余儀なくされます。
2010年には、レナウンは中国傘下の連結子会社になってしまいます。(残念なことです)

再起を図るには「ボウ」から始めればいい。

繊維業界が斜陽を迎える80年代後半から、
ファッション・アパレル向けの繊維だけではなく、斬新な試みが始まっていました。
人を装うのではなく航空機素材・工業素材といった機械を装う繊維へ。
炭素繊維やガラス繊維などの新素材が、鉄に変わる強度と耐性と共に、
今、日本から世界へ発信されています。


近所の機屋は、どうでしょう?今もガチャコン・ガチャコン…音を響かせています。
追求した高品質の織りを武器にして、世界に発信されています。
「ボウ」ではなく磨きの掛かった大人の姿で…。

イエーィ、イェーィ!!トレビアーン!!です。


シルヴィ・ヴァルタン。1965年20歳の初来日で録音し放映された
レナウンのCM「レナウン・ワンサカ娘」耳に残る曲でした(笑)
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| 1967年(昭和42年) | 16:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[平成18年]親と子の絆、奇跡のヒーロー・ウルトラマンメビウス。

ウルトラマンメビウス

今、子供に安心して見せられる番組や漫画が少なくなりました。
暴力や残虐性、性表現が際立ち過ぎて、刺激が大きすぎる風潮があります。
映像表現はリアリティを増し、血が飛散し、苦悩に歪む顔がアップで映し出されます。
バトルの為のバトルを繰り返し、大人のドラマ顔負けのドロドロした人間模様が
物語を構成します。「子供向け」と題しながら、成年に向けた番組が多いですね。
今の時代「子供向け」は、利益が低いと考える企業が多いのでしょうか?
ありふれた「夢」や「希望」というコンセプトでは、番組が成り立たないのでしょうか?

大人から子供へ。親から子へ。
大人が子供に伝え続けなければならない大切なモノとは、
今の時代にありふれたように感じる、
夢や希望…友情や信頼のように思えてなりません。


そんな夢や希望を教えてくれる番組は、さて、あるのでしょうか?
いや、あります。2006年(平成18年)4月8日に放送を開始した、あのヒーローです。

そのヒーローが番組に登場した時、ナレーターはこう語ります…

…今から、ちょうど40年前、地球は怪獣や侵略者の脅威に晒されていた。
…人々の笑顔が奪われそうになった時、遙か遠く、光りの国から彼らはやってきた。
…ウルトラ兄弟と呼ばれる頼もしいヒーロー達が…

ウルトラマンシリーズ誕生40周年記念作品と題された「ウルトラマンメビウス」は、
平成の子供達の前に、宇宙警備隊のルーキーとして登場します。
そしてメビウスの教官は、昭和ウルトラマンの末っ子ウルトラマンタロウです。
昭和の時代のウルトラマンが、事あるごとに番組に登場し、未熟なメビウスを助けます。
メビウスは成長し、本当のウルトラマンになっていきます。

私も子供の頃、ブラウン管を通して、ウルトラマンからたくさんの事を教わりました。
そして、40年が経ち、今、メビウスが大切な事を子供達に教えています。
youtubeの動画コメントには、こんなのがありました。
「僕は今年高校三年生になりました。
それでもウルトラマンが好きなのは変わりません。
泣きたい時や悲しい時に、彼らは僕らに元気をくれます。
だからウルトラマンは僕の、いや、みんなのヒーローです!」と。

親の世代から子供の世代へ。親が感じたあの感動を、
今の子供たちと共有できるとすれば、
まさに「ウルトラの奇跡」と呼ぶに相応しいでしょう。




東日本大震災で活動する自衛隊の写真と共に、メビウスの挿入歌が流れています。

その動画のコメントには、こんな言葉が綴られていました。

「自衛隊の皆さん、有難うございます。
子供達の活き活きとした笑顔も力をくれます。素晴らしい♪」

「何の見返りも求めず、ただ困っている人たちを救いたい。
正に彼ら、彼女らはウルトラマンだよね。ありがとう!」

「ウルトラマンは身近なところにいたんだ、ありがとう自衛隊のみなさん。」

「この国は、ウルトラマンを生み出した国。光の国は、日出ずる国。
だから、心の中にウルトラの心があり、誰もがウルトラマンになれる国。
困ったときには、皆、ウルトラマンに変身しましょう。」
と。

第一回放送、怪獣と対峙するウルトラマンメビウスの初登場シーンで、
その姿を見守る群衆の中に、肩車をされた子と親の姿がありました。
子供はメビウスを指差しながら、こう言います。
「あれ?パパが小さい頃に見たって言ってた??…」

「ああ~ウルトラマンだ!!」

親子に渡ってウルトラマンです。ウルトラの心は継がれてゆきます。

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| 2000年代(平成12年以降) | 16:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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