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[昭和51年]浜田省吾「もうひとつの土曜日」。漢の条件とは?

浜田省吾

職場のある大垣市を少し東に車を走らせれば、関ヶ原町-。
そうです。あの徳川家康vs石田三成が戦った「天下分け目の関ヶ原」です。
「勝者=正義」。敗戦の将とは悲しいかな、勝者から悪評の的となり、
弱者のレッテルを貼られるモノです。
1600年10月。三成の西軍は、敗れます。
西軍の大将・石田三成は、本当に弱き者だったのでしょうか?
20万石の大名が、250万石の家康に立ち向かう姿が、弱き者の姿でしょうか?



1976年(昭和51年)4月。「ロック=英語」という既成概念に疑問を持った
ミュージシャンが、「路地裏の少年」でソロデビューします。
浜省(ハマショー)の愛称を持つ浜田省吾さんです。

既成概念の壁とは、高いモノです。その後3年の間、印税収入も少なく、
生活することも音楽活動もままならなかったと言います。
ロック志向なのに生ギター1本で全国を巡業する姿は、弱気者の姿でしょうか?
日本語による歌詞や歌唱にこだわった浜田省吾…。
「巻き舌で、日本語を英語っぽく歌いたくない」と語った浜田省吾…。

しかし、彼の拘りは、当時の若者に徐徐に響いていきます。
尾崎豊、福山雅治、桜井和寿…彼の音楽に影響を受けています。
芸能界・スポーツ界の中にも多くの信者が居ますよね。

信念に真っ向勝負する浜省(ハマショー)は、漢(おとこ)だと思います。
彼の歌に出会えたこと、私の人生の宝です。
名曲の多い浜省(ハマショー)の曲の中で、
「もうひとつの土曜日」は、大好きな曲の一つですね。

「土曜日」は本命の彼のために…
もし、僕だったら君に「もうひとつの土曜日」が用意できるんだ。

この曲は、そんな解釈でいいのかなぁ~?

石田三成は、主君である豊臣の治世を継ぎ、再び戦乱の世にしたくない…と、
大谷吉継に固い信念を伝えます。そして、吉継は言います…
「親友の、おまえを見放すわけにはいかない」と。

敗戦後、三成の居城・佐和山城が落城した折、誰もが悪意に満ちた思いで、
三成が莫大な私財を蓄えていると思っていました。

しかし…

そこで見たモノは、板張りの壁・風情の無い庭・粗末な石積み…でした。
…「奉公人は主君より授かる物を遣いきって残すべからず。
…残すは盗なり。遣い過ぎて借銭するは愚人なり」

と、日頃語っていた三成の人間的な魅力を感じますね。

後に、あの水戸光圀は三成をこう評価しています。
「三成を憎んではいけない。
主君へ、義の心を持って戦ったのだ。
君臣の心得とすべし」
と。

時代に「if」は無いけれど、後世が三成の時代であったなら、
日本はどうなっていたのでしょう?
歴史は不思議なモノです。300年続いた徳川の世を終わらせたのは、
関ヶ原で西軍として敗戦した漢(おとこ)たちの活躍でした。
信義を貫いた石田三成もまた、漢(おとこ)だと思います。

石田三成の「もうひとつの土曜日」を見てみたかったなぁ~。

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| 1976年(昭和51年) | 13:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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