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[昭和47年]札幌オリンピック、金銀銅の日の丸飛行隊。

日の丸飛行隊

県内には、航空自衛隊・岐阜基地があります。
毎年、各務原市で開催される航空祭の最大の見物は、
何と言っても「空のアクロバットショー」ですね。
音速で飛び交う鮮やかな機体を間近に見れば、誰でも憧れてファンになります。
空を自由に飛ぶこと、そして誰よりも速く飛ぶこと…
声も掻き消えるような轟音に驚きながら、
空いっぱいに描かれたスモークの航跡は、まるで虹を架けているかのようです。
その空を駆け抜ける憧れの正体は、蒼い衝撃…
ブルーインパルス(Blue Impulse)と呼ばれた飛行隊です。


子供の頃、白銀の空をひたすら高く、そして…遠くに飛んで、
日本中を感動の渦に巻き込み、歓喜させた飛行隊がいましたね。

1972年(昭和47年)2月。札幌で冬季オリンピック開催。
スキージャンプ70m級で、1位・笠谷幸生、2位金野昭次、3位・青地清二。
日本人が、冬季オリンピックで初めて、金銀銅の表彰台を独占しました。

「日の丸飛行隊」の名で、新聞やテレビが大大的に報道をしていました。

子供で、オリンピックの凄さを実感できなくても
「日の丸飛行隊」の名だけは、しっかり覚えています。
当時の子供にとって、飛行機…そして空への憧れは、
きっと、今の子供たちの何倍も強かったように思います。


敗戦するまでの日本は、他国が脅威を抱くほどの航空大国でした。
しかし、戦争に負けると、その航空技術はGHQ…所謂アメリカに全面禁止されます。
現存飛行機は、全て破壊。戦前の航空機資料は、全て没収。
大学の授業から航空力学の科目まで取り除かれ、
製造する日本の重工業は、すべて再起不能にさせられました。
まさに、日本は翼を完全にもがれ、飛行隊はその歴史から姿を消しました。

1952年(昭和27年)。日本に主権が戻ると、一部飛行機の運航・製造が解除されます。
1956年(昭和31年)。GHQによる航空禁止令が全面解除。
1962年(昭和37年)。戦後、国産初の旅客機YS-11初号機ロールアウト。
1965年(昭和40年)。YS-11量産一号機納入。
敗戦から20年。日本人の手で、日本の空を…遂に翼を広げる事ができました。
しかし、YS-11はあくまでも旅客機です。飛行隊は組めません。



空を力強く、そして軽やかに編隊を組んで飛ぶ「飛行隊」のイメージを
きっと、札幌オリンピックの空に誰もが想像したのかもしれませんね。

札幌オリンピックのイメージソング「虹と雪のバラード」を
開催期間に良く聞きました。
雪の空に翔る虹のイメージが、
まさに、日の丸飛行隊でしたよ。


1971年(昭和46年)。オリンピック前年、国産でマッハを越え練習機T-2初飛行。
1976年(昭和51年)。T-2を含む25機体制で、正式に第21飛行隊結成。
遂に国産の翼が編隊を組みました。実に長い道のりです。

そして…私が、各務原の空で見たあの青い稲妻は…T-2。
航空隊中の航空隊と呼ばれた「ブルーインパルス」の編成機体です。

日本人の手で、日本の空を…。

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| 1972年(昭和47年) | 23:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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