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[昭和レトロ記事満載!!]生まれた日本、育った昭和の時代を見詰めた自分探しの旅へ。

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[昭和48年]ノーベル物理学賞受賞、江崎玲於奈博士。

江崎玲於奈

「夢がない」と悩む人に、頑張れ!!と言う言葉は酷なようです。
目標である夢や希望が無いのに、何を頑張れと言うのか?と、
逆に聞き返えされて、話の進みようがありません。
「とりあえず、何でもいいから勉強してみよう~」と言うのが精一杯です(汗)

何のために勉強するのだろう~
勉強が出来る子の将来は、「末は博士か大臣か」

と、子供の頃、よく言われましたね。

1973年(昭和48年)。「トンネル効果」を利用したダイオード開発で、
江崎玲於奈博士が、ノーベル物理学賞を受賞しました。私が、小学校6年生の時です。
昭和24年に湯川秀樹博士が、昭和40年に朝永振一郎博士が、
ノーベル物理学賞を受賞しましたが、私は小さくて記憶がありません。
日本で3人目の江崎博士の受賞はまさに、世界に認められ、その名を残す事の大切さを
先生や親から、口がすっぱくなる程、言われましたよ(笑)あはは。

偉い人になるためには、勉強は大事なんです。

翌年、1974年(昭和49年)。佐藤栄作、元総理が、非核三原則の提唱で
ノーベル平和賞を受賞しました。
まさしく私の時代は、勉強を頑張る子は「末は博士か大臣か」の時代でしたね。

明治の時代は、帝国大学に限り、博士号の授与は許されていました。
お国のために得られた学位は名誉であり、敬意の称号でした。
しかし、今はどうでしょう。
博士号を有しながらも定職に就けないオーバードクターの問題が
クローズアップされています。

今の時代、勉強しても、偉くなれるとは限らないんですね。

勉強を、偉くなる最終目標にしてはいけない…。
「偉い」とは、所詮は他人が決めること。


ダイオード開発について、忘れてはならない一人の女性が居ます。
黒瀬百合子さん。
理学部を卒業しばかりの新人として、江崎玲於奈博士の助手になった女性です。
純度を高めるための実験を繰り返す中、
彼女は、「不純物を加える実験をさせて欲しい」と、提案します。

その結果、生まれたのがエザキ・ダイオードです。
ノーベル賞を連名でもらって、おかしくない話ですね。
しかし彼女は、博士がノーベル賞を受賞する前に結婚退社をします。

博士が、1973年、ノーベル賞を受賞した翌年1974年。
黒瀬百合子さんはひっそりと、病魔のガンによってお亡くなりになりました。
39歳。誰よりも、博士の受賞を喜んだに違いありません。
黒瀬百合子さんにとっての勉強とは、何だったのでしょう。

自分が誇らしく生きるために続けるのが、勉強のような気がします。
黒瀬さんにとって、博士に師事出来たことが、
最高の誇りだったような気がしてなりません。


誇りとは、刻まれて消える事のない永遠の輝き…。
ダイオード特許の公示には、しっかりこう書かれてあります。

発明者 江崎玲於奈
 同  黒瀬百合子

その功績は、未来永劫…刻まれ輝き続けることでしょう。
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| 1973年(昭和48年) | 21:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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