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[昭和レトロ記事満載!!]生まれた日本、育った昭和の時代を見詰めた自分探しの旅へ。

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[平成12年]シューマッハ、セナの生涯勝数41勝に並ぶ。

シューマッハ

偉大さ凄さと言うものは、その時代の高揚さを
肌で感じなければ、なかなか分からないものです。

極東の小さな島国から、モータースポーツの王道フォーミラー1へ。
HONDAの参戦は、一部マニアに認知された小さな出来事でした。
あるドライバーとの出会いが、本田技研を「世界のHONDA」へ押し上げ、
日本人にまざまざと、その事実を教えてくれました。

その男に出会えたことが、宝物…。

男の名は、アイルトン・セナ(Ayrton Senna da Silva)。
音速の貴公子と呼ばれたF1ドライバーです。
HONDAと共に世界の頂点に君臨した男…。日本の誰もが愛した男…。
さまざまなバトルを繰り返し、絶対不利なスタートから、チェッカーフラッグを受け
「神を見た」と、言葉を残した男…。

ホンダからウィリアムズ・ルノーへ移籍した1994年。第3戦サンマリノGP。
超高速タンブレロコーナーでクラッシュし、彼は本当の「神」になりました。

その瞬間をテレビで見ていて、これほど心配で…
これほどショックなことはありませんでした。

その時、後にF1界の皇帝と呼ばれる事になる若きミハエル・シューマッハは、
セナに憧れ…その憧れのセナを脅かす存在になっていましたね。9つ違いです。
セナがクラッシュした時、その直後を走り、
憧れのセナの事故を誰よりも間近で見たドライバーでもありました。

憧れの人を愛し、追い抜く事で、その憧れを昇華させたかったのでしょう。
誰もが、世代交代というシーンに見かける男の戦いでもあります。

しかし、シューマッハは、セナを抜くことなく、目の前で憧れの存在を亡くします。
その時から、シューマッハの孤独な戦いが始まったのかもしれません。
独裁者のように「皇帝」と呼ばれ…それでも勝ち続けた彼の胸中を
私は、想像する事も出来ません。

そんな彼が、記者会見の席上、泣き崩れました。
その光景を見た時、シューマッハのセナへの憧れ・尊敬…彼にしか分からない
得体の知れない思いを感じつつ、ついつい目頭がウルウルしたのを覚えています。



2000年(平成12年)9月。ミハエル・シューマッハは、イタリアGPで、
セナの生涯勝数41勝に並びました。
席上、優勝インタビューが続く中、ある記者がシューマッハに質問します。

「これで、セナの持つ通算41勝に並びましたね。」

「…」(嗚咽)

シューマッハから、言葉が消えました。感情を抑えきれず、涙を流す彼を
両脇のハッキネンとラルフが、肩をさすります。
今まで、涙を流すことなく、F1サイボーグと呼ばれた冷静さはそこにありません。

憧れが、目標をつくり、人に力を与えます。
目前の憧れが消えた時、人はまた、一人で立ち向かう力を持ちます。


憧れが、自分を成長させる力の源である事を、
セナとシューマッハの関係を見て、そう思わずにはいられません。

シューマッハが強くあればあるほど、セナの偉大さは間接的に伝わってきます。
その時代を知る人は…その時の感動と凄さを
今に伝え続けなければいけないように思います。

昭和の時代を代表した男、アイルトン・セナは、昭和の宝物ですね。

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