category: 1976年(昭和51年)  1/1

[昭和51年]乾くのは何?内山田洋とクール・ファイブ「東京砂漠」

岐阜県には、海がありませんが、良質の水量をたたえる3本の川が流れています。長良川・木曽川・揖斐川です。猛暑が続き、他県の水不足のニュースを聞きつつも、その水量の恵みのお陰で、渇水と言う経験はありません。水が、あることが当たり前のように、子供の頃、暮らしてましたね。70年代後半に差し掛かる日本は、戦後の高度成長も一段落し、安定期に入ります。1968年(昭和43年)には、西ドイツを抜いて、GNPで世界第2位の国になっていました。しかし、...

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[昭和51年]浜田省吾「もうひとつの土曜日」。漢の条件とは?

職場のある大垣市を少し東に車を走らせれば、関ヶ原町-。そうです。あの徳川家康vs石田三成が戦った「天下分け目の関ヶ原」です。「勝者=正義」。敗戦の将とは悲しいかな、勝者から悪評の的となり、弱者のレッテルを貼られるモノです。1600年10月。三成の西軍は、敗れます。西軍の大将・石田三成は、本当に弱き者だったのでしょうか?20万石の大名が、250万石の家康に立ち向かう姿が、弱き者の姿でしょうか?1976年(昭和51年)4月。「ロック=英語」という...

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[昭和51年]はらたいらに3000点。クイズダービーの賭け方。

酒の席で「人生はギャンブルのごとし」と豪語する人がいます。ここ一発、人生勝負の時のアドレナリンの高さは、ギャンブル以上かもしれません(笑)しかし、ゲームならまだしも、人生に負けるなど、きっと誰も望まないはずです。競馬好きで有名な作家・寺山修司氏は、「遊撃とその誇り」の中で、「賭博には、人生では決して味わえぬ敗北の味がある。」と語っています。ゲームで負けを体験し、人生に「負け」の免疫を付けるのも、いいかもしれませんね(汗)197...

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[昭和51年]異様に失笑?6輪のタイヤを持つF1・ティレルP34

小学校の時、クラスに変わった子がいました。いつもニコニコして、ドジばかりしていました。靴を右左履き違えたまま、50mを全力疾走しても転ばない子でした(笑)当然、タイムなど出ません。右左の履き違えを指摘しても、驚きもせず履き直します。今の表現で言えば、不思議ちゃんでしょうか?1975年、週間少年ジャンプにスーパーカーの火付け役となった「サーキットの狼」連載開始。スーパーカー人気の延長戦にF1マシンに興味を持った自分が居ました...

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