archive: 2012年12月  1/1

変わる事、変わらない事。蓄積された日本の文化。

若い頃、広告の世界に身を置き、同僚や先輩と広告について、たくさん語り合いました。「日本人は、流行のサイクルが早すぎる」なんて事を話していたのを覚えています(汗)テレビや雑誌で取り上げられる新しいモノは、1~2年で姿を消します。今の時代も変わらない日本の風景でしょうか?日本人は、新商品や新サービスを使い捨てる飽きっぽさを見せながらも、伝統や文化は別。遠ざかるような気配だけ見せて、絶対捨てないのが日本人ですね(笑)外国人...

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[昭和57年]再び見たい。再見「NHK人形劇・三国志」

社会人になり、仕事を始めた頃、上司に読むように言われたのが、吉川英治の三国志と山岡荘八の徳川家康です。どちらも長編歴史小説の代名詞ですね。確かに、人生に一度は読んで損の無い名作小説です。多くの登場人物に出会い、その生き方に触れた時、きっと、誰かに感情移入し、感化される事でしょう。しかし、その当時、自身の活字離れのせいで、小説を読むことはありませんでした(汗)特に日本の戦国時代モノとは違い、中国の戦国モノは、難しい漢...

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[昭和46年]青春は、汗と涙と友情と…森田健作「おれは男だ!!」

平成の世を暮らしていると、昭和という時代は、私にとっては青春そのものです。しかし、厳密に青春って何歳からでしょうか?素朴な疑問が浮かんできます。中国の故事によれば、人生を季節と色で区分しています。人生を80年とすれば玄冬(幼年期)の時代は、20歳まで青春(青年期)の時代は、21歳~40歳。朱夏(壮年期)の時代は、41歳~60歳。白秋(老年期)の時代は、61歳~80歳までと言った感じでしょう。故事的に言えば、青春は成人式を迎えてからとなり...

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[昭和60年]究極の空気抵抗を目差して「スバル・アルシオーネ」

人には、保守的な考えと革新を目指す心が常に同居しています。守りに入りすぎた自分の殻を破るために、新しいことを始めようとするのもそのひとつですね。しかし、同時に守りながら攻めると言うのは、実に難しい~(汗)新しい技術や機能が成熟すると、企業・消費者も新たな何かを欲しがります。この繰り返しを「時代のサイクル」と言うのでしょうか?成熟しきったバブル経済が崩壊した後の日本は、新たな何か?を模索した時代でした。90年代半ばか...

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[昭和49年]YAZAWA。ガンガン行こうぜ!!ロックしようぜ。

人生の節々で、音楽は記憶と共に刻まれるモノです。今更、自分が生きた昭和の時代の音楽を紹介したなら、「懐メロだねぇ~」と、一笑されてしまうかもしれませんね。でもね。昔の音楽を聞くと、その時の自分の立場や葛藤や喜びが、沸いて来て、初恋にも似たキュンが、心に込み上げてきませんか?「懐メロ」って、一般家庭にまだビデオが無い時代、テレビやラジオが、音楽番組の一ジャンルとして企画したモノだと思うんです。今の若者にしてみれば、AKB48...

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[昭和27年]ジャパン!ジャパン!メイドインジャパンは奇跡。

今から10年前、何をしていましたか?2002年の時、地元の岐阜を離れて、石川県金沢市で、デザインの自営をしていました。IT・WEBが社会を大きく変える途上でしたね。自分は、1961年生まれです。生まれる10年前、日本はどんな時代だったのでしょう。1951年。そこは、日本で有りながら日本ではありません。1945年に敗戦を迎え、戦勝国である連合国が、日本を統治をしていました。所謂、GHQです。日本の国旗を振ることが許されない時代です。敗戦から7年、195...

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[昭和62年]芦毛の怪物。記憶の最強馬オグリキャップは男だよ。

サラブレッドとは、勝つために生まれた競走馬のことです。人の生き方に、「サラブレッド」を当てはめて、表現することがあります。実績を残すことを宿命づけられたサラブレッドが、その期待通りの成績を残した時、「最強」の名を手にするのでしょうか?じゃ、最強の競馬馬は何?競馬評論家の井崎脩五郎氏は、「競馬史上最強の馬は、ディープインパクト」であると。2010年の競馬雑誌「優駿」が行った「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち100」のランキングで...

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[昭和44年]カリッと、アーモンドチョコレートは、大人の味?

「苦(にが)み」と言うのは、大人になるにつけ、覚えていく感覚ですね。それこそ苦痛と思える「苦み」を、糧に出来るようになれば、世間では、「苦み走ったいい男」と言われるようになります(笑)逆に子供は、「苦み」を知らず「甘い」だけで良いような気がします。「苦み走った子供」って、いやはや…可愛げがないでしょう(笑)「苦み」を嫌い、甘いものが好きなスイーツな大人が増えました。甘さの持つイメージをそのままに、「可愛い~大人」が流行でしょうか?甘...

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[昭和51年]はらたいらに3000点。クイズダービーの賭け方。

酒の席で「人生はギャンブルのごとし」と豪語する人がいます。ここ一発、人生勝負の時のアドレナリンの高さは、ギャンブル以上かもしれません(笑)しかし、ゲームならまだしも、人生に負けるなど、きっと誰も望まないはずです。競馬好きで有名な作家・寺山修司氏は、「遊撃とその誇り」の中で、「賭博には、人生では決して味わえぬ敗北の味がある。」と語っています。ゲームで負けを体験し、人生に「負け」の免疫を付けるのも、いいかもしれませんね(汗)197...

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[昭和47年]オードーリー・ヘプバーン。何と言ってもローマの休日。

人が想像できるであろう映像表現なら、今のCG技術を使えば、大抵できるのかもしれません。映画館に足を運べは、映像がスクリーンを飛び出し、目の前まで迫ってきます。遊園地のアトラクションと変わらないアミューズメントな世界が、今の映画です。こんな時代に、カラーでもCGでも無い白黒映像で、古めかしいファッションを身にまとい、お転婆なお姫様が、街に飛び出して、新聞記者と恋をする。そんな単純なラブストーリーを名作と告げたところで...

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[昭和62年]コクとキレ、ドライ戦争勃発。アサヒスーパードライ。

歳を取ると、病気や健康に気をつかうようになります(汗)栄養指導を受けた折り、高血圧に気をつけるように言われました。特に塩の取りすぎは注意です。2010年4月、厚生労働省により「日本人の食事摂取基準」は、男性は1日10g未満から9g未満に、女性は8g未満から7.5g未満へと低減され、厳しくなりました。結構、この数字は厳しいですよ~(汗)特に日本の食文化は、味噌や醤油が欠かせません。更に塩付けの漬け物…etc栄養指導を受けた人なら分かると...

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[昭和58年]第37回衆議院議員総選挙。取り戻せ日本。国とは何?

子供の頃、テレビは、娯楽のおもちゃ箱でした。しかし、そのおもちゃ箱のおもちゃで、どうしても遊べないモノがありました。夕飯を間近に向かえ、アニメタイムが始まる6時代のニュースです(汗)父親は、感心しきりうなずいたり「どうなってるんだ」と憤慨したり。ニュースと言うのは、大人をあれほどまでに興奮歓喜させるんですね。二十歳になれば、成人式を迎え、日本人なら等しく選挙権が与えられます。当時の私は、選挙権を大人になった証と思って...

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[昭和48年]「どてらい男」とは、痛快に勝つこと。商売の大事さを知る。

人は、付加価値を生み出し続ける生き物です。しかし、付加価値だけでは、資本主義の社会は生きていけません。付加価値を貨幣に換えなければ、生活さえままならないものですね。デザインと言う世界にいると、グラフィックアートに拘るばかり、夢や理想に入りすぎ、ターゲットである企業や消費者を忘れて、自分の内なる世界に入り込み過ぎる人を見かける事があります。とりわけ、駆け出しのデザイナーに良くあるパターンです。商売の「商」の字は、商...

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[昭和58年]まだあげ初めし前髪の…初恋は、ふりこ細工の心。

今時の音楽は、ストレートな恋愛モノばかりですね。「お前が好きだ」「愛してる」「あなたに逢いたい」「切ない」…挙句の果てに「いつ※の君は○△※□で○△※しよう~♪」何言ってるのやら、声が聞きづらくて、チンプンカンプン(汗)「ベイビーベイビー」「ロンリーロンリー」リズム取りのような相づちは英語。音楽はノリも大事だと分かっていますが、音楽はリズムだけじゃ無いですよね。心にググっと刺さる歌詞だって必要です。恋。とりわけ初めての恋は、誰でも特...

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[昭和60年]ダダン・ダッダダン。ターミネーター(T-800)

人生を生きていると、時折分岐点と呼ばれる瞬間に出くわすことがあります。人生を大きく好転させる瞬間かもしれません。奈落の底に落ちる瞬間かもしれません。しかし、時は止めることもできず、決断の瞬間は、おのずとやってきます。幸か不幸か?その後の人生や如何に…(笑)人生もし、あの瞬間に別の決断をしていたら…時計の針を戻すことができたら…どんなに素晴らしいことか?「IF」を考えることが多いのでは無いでしょうか?だからこそ、時間を巻...

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[昭和33年]丼にお湯を注いでハイ!出来上り。チキンラーメン。

深夜、遅くまで仕事をし、小腹が空いたらコンビニへ。いつでもどこでも…が便利な時代ですね。子供の頃、お腹が空いても、夕暮れ時、「ご飯ですよ」の母親の声がしない限り、空腹を満たすことが出来ませんでした。小遣いで、おやつを買ったとしても、空腹を満たす為ではなく、あくまでもおやつです。子供の頃、テレビに夢中で、ご飯を食べていると、「ちゃんと食べないとお腹が空くよ」と母親に叱られました(汗)早く食べるという「時間」で怒られるのでは...

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[昭和56年]A-LONG-VACATION。君は天然色でトロピカル。

今までの夏は、どんな歌を聴いていたのだろう~??と、思わせるほどの曲が、1981年に登場しました。大滝詠一と松本隆が作り出した1枚のアルバムが「A-LONG-VACATION」です。40~50代の人なら、この曲を知らないはずはありません。「はっぴいえんど」と言うコンビを組み、マニアの中では、名の通っていた2人でした。5年の低迷を過ぎて、爆発的なヒットを生み出した事は、当時の音楽業界からすれば、奇跡だったようです。潮干狩・海水浴と言ったジリジリ...

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[昭和56年]新しい快感。薬師丸ひろ子の「セーラー服」と「機関銃」

アイディアに詰まった時、その発想法に辞典や辞書を使う場合があります。目の前に辞書を置き、ランダムにページを捲り、捲ったと同時に語句に指を指します。もう一度、捲り指を指します。異なる2つの選ばれた語句が、滞った脳を刺激して、回転を速めてくれるのです。荒唐無稽の組み合わせに、笑いが込み上げてくることもありますが、時にそれが、とてつもないパワーを見せる時があるんですよね。セーラー服と機関銃。赤川次郎原作、1981年、薬師丸ひ...

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[昭和48年]愛と誠。「早乙女愛よ、岩清水弘はきみのためなら死ねる!」

漫画や人物イラストを描く時、目に一番心血を注ぐといいます。ギャグマンガから書き始めた私が、劇画に興味を持ったのは、1973年、少年マガジンで連載が始まった梶原一騎作・ながやす巧画の「愛と誠」です。コミック第3巻の表紙に描かれた、主人公・太賀誠の目は涼しくて、いつまでも忘れられません。かすかにほほえんだ口元、太い眉毛、とがったあご…何度も何度も模写したのを覚えています。しかし…この通りには書けないんですよねぇ~(汗)そのス...

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[昭和51年]異様に失笑?6輪のタイヤを持つF1・ティレルP34

小学校の時、クラスに変わった子がいました。いつもニコニコして、ドジばかりしていました。靴を右左履き違えたまま、50mを全力疾走しても転ばない子でした(笑)当然、タイムなど出ません。右左の履き違えを指摘しても、驚きもせず履き直します。今の表現で言えば、不思議ちゃんでしょうか?1975年、週間少年ジャンプにスーパーカーの火付け役となった「サーキットの狼」連載開始。スーパーカー人気の延長戦にF1マシンに興味を持った自分が居ました...

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[昭和62年]JR「X'mas Express」と国内初の携帯「NTT TZ-802」

iPhoneやAndroid携帯のシェアが増えていますね。映像・インターネット・電話・メール…手の平にすっぽり、ポケットにしっくり。自分で楽しむのも、人に伝える事も、その場、その瞬間に行えます。便利な時代になりました。子供の頃、友達と遊びたい時は、決まってアポ無しでした。玄関先まで行って「○○君~!!遊ぼ~!!」と声をかけるのが日常でしたね。いなければいないで、家の人に言付けをして、別の友達の家へ。決まった公園や空き地で遊んでいると、言...

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[昭和36年]もっとも若き合衆国大統領ジョン・F・ケネディ誕生。

昔、絵を描くために練習で、たくさんのデッサンしました。クロッキー帳にデッサンをしながら、思う事は、モノには、常に光と影があることですね。光が強ければ、おのずと、その影を鉛筆で塗りつぶす事になります。1961年は、私がこの世に生まれた年です。当然記憶はありませんが、私の目に「この世」の光を感じ始めた瞬間です。同年、アメリカで強き光が誕生しました。合衆国の歴史上、もっとも若き43歳の第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ...

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桜を忘れていませんか?サクラサクラの原風景。

日本が大好きだ! 昭和が大好きだ!!人生50年を過ぎ、今まで歩んできた道のりを振り返えろうと思えるようになりました。この先にも続く長い道のりを、優しく見る事ができるかも…と思えるようになりました。若い頃、自分が日本に生まれた意味を深く考えずに、生きてきたように思います。西欧に憧れ、洋風は新しく、和風は古臭い…なんて、考えをチラチラ思いながら日本人である事の意味を触れようとせず、生きてきたようにも思います。敗戦から向か...

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[昭和54年]甲斐バンドの「安奈」に理想の女性を見た。

男性漫画家の描く女性は、等しく理想の女性を極めたいと言います。自分も、昔、漫画家になりたい夢を持っていました。御多分に洩れず、わら半紙にBの鉛筆で描く女性キャラは、自分の理想への投影です。しかしねぇ~技術が伴わないその絵は、とても魅力的とは思えませんでしたね(汗)理想をカタチにすることの難しさを痛感しました。何よりも、その理想は、時が経つほどに美化されていきます。たゆまぬ絵を描く技術と感性の追求こそ、理想に近づく...

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