[昭和51年]はらたいらに3000点。クイズダービーの賭け方。

酒の席で「人生はギャンブルのごとし」と豪語する人がいます。
ここ一発、人生勝負の時のアドレナリンの高さは、ギャンブル以上かもしれません(笑)
しかし、ゲームならまだしも、人生に負けるなど、きっと誰も望まないはずです。
競馬好きで有名な作家・寺山修司氏は、「遊撃とその誇り」の中で、
「賭博には、人生では決して味わえぬ敗北の味がある。」
と語っています。
ゲームで負けを体験し、人生に「負け」の免疫を付けるのも、いいかもしれませんね(汗)
1976年1月放送開始。大橋巨泉を司会者として始まった「クイズダービー」は、
競馬のテイストを入れながら、ギャンブルのスリルを味わえる番組でした。
競馬馬に見立てた回答者は、個性豊かな人ばかり、
倍率は低いが高い正解率で手堅い、漫画家のはらたいら。
三択の女王の呼ばれた、女優の竹下景子でコツコツ。
トンチンカンな解答をするものの、大穴を狙うなら井森美幸。
誰に賭けるか?何点賭けるか?
まだ、ギャンブルを知らない当時の私は、ギャンブルを疑似体験をしていました。
勝つ者、負ける者…ひきこもごも。
大橋巨泉の絶妙なトークが、笑いを誘い、高視聴率叩きだしていました。
クイズダービーを知っている人なら、一度は口に出した覚えのあるのが、
はらたいらに3000点。
クイズタービーのルールは、3000点の持ち点でスタートします。
「はらたいらに3000点」は、1問目に持ち点全部を賭ける一発勝負の禁断の技です。
負ければ、いきなり0点。次の問題へ繋がらない、収録泣かせの賭け方ですね。
この「はらたいらに3000点」を試みようとした回答者が、
1976年から92年まで、16年続いた中で2人います。
一人はとんねるず。ま、これは、ネタ振りの「はらたいらに3000点」でしょう(笑)
そして、もう一人は、勝新太郎の兄で名優の若山富三郎。
わわわ、その渋さは、まるで賭事師のようです。とても、ネタに思えません(笑)
司会の大橋巨泉から「早く帰ろうと思ってるなぁ!」と返されて、賭け直したとか。
ともかくも、掛け方は人それぞれ。
人生の駆け引きを子供心に垣間見たよう番組でしたね(笑)

しかし、人生一発大勝負の例えで使われる「はらたいらに3000点」ですが、
実は、倍率の低いはらたいらに賭けても、せいぜい2~3倍ですよね。
とある回で、7問目終了時点で39,000点を持っていた古物商のチームがいました。
最終問題で、手堅いはらたいらを選ばす、最高倍率10倍の関根勤に全部賭けます。
そして名台詞の「倍率ドン! さらに倍!!」
関根勤の倍率はなんと20倍に跳ね上がります。
キターーーーーーーーーーーっ。一気に819,000点!!
は、は、819,000点ですよ。番組史上、最高額を叩き出しました。
人生でこんな勝ち方をしたら、きっと血圧が上がりすぎて、血管が切れてますよ~(汗)
いや~この勝ち方は怖いですよ(汗)勝つのも大事ですが、
負けない事の大事さを痛感します。
スタートは、手堅く、はらたいらに1000点。押さえに竹下景子に500点。
持ち点1500点を残して、次の問題へ。ってのはどうでしょう?
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