[平成元年]日本GP直前、アラン・プロストのコメント

ミハエル・シューマッハが、目標とし、
闘志をを剥き出しにしたのがセナだったように…
セナが、どうしても倒さなければいけない相手はアラン・プロストでした。
生涯4度に渡り、F1ドライバーズチャンピオンに輝き、通算51勝をあげた最大の壁。
そのドライビングスタイルは、徹底的なスムーズさです。
無駄を極限まで廃し、シフト回数、ハンドリング…燃費の良さ、タイヤの摩耗…
スロットルの踏み方ひとつに至るまで、完璧を求めたその走りは、
走行データが、如実に語っています。
人はプロストの事をプロフェッサーと呼んでいましたね。
1988年、1989年。セナとプロストは同じマクラ-レン・ホンダに籍を置きます。
チームメイトで身近に居ながら、もっとも強力なライバルです。
才気喚発で、果敢な攻めが、過激とも捕らえがちなセナに対して
冷静さのプロストとの間が、上手く行く訳がありません(汗)
1989年(平成元年)10月。日本GP直前にプロストはセナにコメントを出します。
…アイルトン・セナには、ひとつだけ問題がある。
…神を信じているから、自分は絶対に死なないと思っていることだ。
…この考えは、他のドライバーたちにとって非常に危険だと思う。
この言葉は、5年後にセナが亡くなる事を暗示しているかのように聞こえますね。
しかし、この言葉は、決して暗示では無いように思います。
セナが無謀でプロストよりもリタイヤが多いと錯覚しますが、
セナもプロストもレースの完走率は70%です。
燃料消費率は、プロストのわずか-1.5%。
パワーピークを拾うようにシフトアップするプロストに対して、
セナは、思いきって引っ張るシフトアップの差がマイナスになっただけ。
セナを身近で知る人たちは、セナに傲慢など思わなかったと言います。
ただ、ただ、そのひたむきなまでの姿勢が、
時に周りの人々の柔な心に、緊張を生んだのかもしれません。
あるジャーナリストは言います。
…セナは、F1関係者の間では、評判はよくない。
…しかし、彼はそんな評判などに興味はないし、超越したところで生きている。
…彼と友達になるには、少なくとも同等レベルでなければ話はできない。と。
その超越した姿を神と呼び、傲慢と呼んだのでしょうか?
ヒーローだったアイルトン・セナ。
彼はいつもスタートグリッドに立つと、心臓が飛び出るほど脈打ち、
頭が爆発寸前になったとセナ自身が語っていました。
…叶うなら78年か79年に戻りたい。
…何の制約もない、純粋にレースをしていた頃に。
ただただ、誰よりも速く走りたかった。
神でも傲慢な人間でもない。ただ速く…それが楽しかった。
周りは関係ない、それだけ…。ひたむきなその姿に、憧れます。
セナが亡くなって後、プロストがセナの人となりを語りました。
…セナが最も私を魅了したのは、彼が100%をレースに捧げていたこと。
…私の場合、98%くらいをレースに捧げているのだと思います。と。
1~2%の差なんですねぇ~(汗)
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