[昭和47年]水平線の終わりには、何がある?「海のトリトン」

海のトリトン

子供の頃、夏休みになると、決まって午前中は、
アニメチャンネルとして称して、1時間半程アニメの再放送が流れていました。
何度も再放送されたのが、アニメ版「海のトリトン」です。

トリトンの眺めた海には、様々な試練がありましたね。
水平線の先には…海を脅かす悪のポセイドン族。
いろいろな人々と出逢い、別れ、悩みに葛藤しながら、少年は旅を続けます。
大西洋・北極海を舞台にした、冒険アニメの金字塔です。

原作は、あの手塚治虫さん。1969年(昭和44年)9月に連載開始。
本の後書きには、こんないきさつが書かれてありました。
「当時は「巨人の星」や劇画が全盛のころで、
新しい連載漫画も、それらの熱血・スポコン的なアクションを、
なるべく強く入れてほしいという要望がありました。
ぼくは、どうしてもそういうムードのものは苦手なのです。」と。

確かに海のトリトンが、熱血スポコンモノにならなくて良かったですよ。
苦手だったからこそ、名作として語り継がれることになかったのかもしれません。



1972年(昭和47年)4月、アニメ版「海のトリトン」放送開始。
キャラクターデザインは、あえて手塚治虫調にせず、
脚本内容は、漫画界の大御所、手塚治虫さんから大きく離れ、
「自分は原作者の立場でしかない」と言わしめた程です。

プロデューサーを務めた西崎義展さんは、テレビアニメの初プロデュース作品。
監督を務めた富野喜幸さんにとっても、初監督作品です。
監督が選択した物語のラストは、低学年の子供には、難解でした。
富野喜幸さん自身が「これはもう職権乱用です」と断言するほどの最終回です(汗)
異例づくめで始まったアニメ版「海のトリトン」は、
まさに大冒険の船出だったんですね。


…水平線の終わりには、虹の橋があるのだろう~♪

そして、水平線の終わりに待っていたものは…
小学生ではなく、中学生や高校生からの熱烈アピール。
今のアニメでは珍しくない、緑の髪のトリトンにファンクラブができる程でした。

何度も再放送された「海のトリトン」を見ていくうちに、
難解と思われたラストの意味が分かってきます。
悪だと思っていたポセイドン族は、実は犠牲者だったんです。
「俺が悪いんじゃない、ポセイドンが海の平和を乱すからだ!!」と叫んで、
その犠牲者を全滅させたトリトンは、大量虐殺の加害者なんですよね(汗)

そして、また少年は旅立つ…。


と、物語の最後は、このナレーションで締めくくられています。
えええ~何とも、ほろ苦い…。この感覚こそ、成長する少年期の余韻かもしれません。
少年は「また」旅立つんです…。「また」なんです。
何度も苦い経験を重ねて、人も作品も大きくなっていくんですね。

…誰も見ない未来の国を、少年は探し求める~♪
その後、西崎義展さんが求めたものは、「宇宙戦艦ヤマト」…。
富野喜幸さんは、名を富野由悠季に代え、
探し求めたものは、「機動戦士ガンダム」だったのでしょうか?

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2 Comments

キスの塩焼き

ライダースナック

お菓子は、要らんからカードだけくれ!

お菓子と一緒じゃないと売らんよ(怒)

あれから40年。世の中はかわりすぎましたなぁ(ー。ー#)

  • 2013/02/05 (Tue) 12:33
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  • 2015/11/22 (Sun) 01:41
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