[昭和60年]将棋界に「チャイルドブランド」羽生善治四段誕生。

羽生善治

子供の頃、長屋風のアパートに住んでいたことがあります。
長屋と言うのは、妙な物で、近所づきあいが濃厚になるんです(笑)
人間関係を密にしていたのは、狭い路地に置かれた縁台のような気がします。
盆の上に乗せた麦茶も、赤くて瑞々しいスイカも、その縁台にはマッチしていました。
まだ、パジャマなんてハイカラなものを、着てる人は少なかったですね。
近所の爺ちゃんは、いつも白いステテコに腹巻きで、うろうろしていました(笑)
縁台に座ると、よしみのあんちゃんを捉まえては、縁台将棋で盛り上がっています。
そんな、近所でも将棋が強かったその爺ちゃんが、ある日、中学生のお兄ちゃんに負けて、
悔しがっていた姿を時々思い出す事があります。

数倍も年齢を重ねた爺ちゃんが、中学生に負ける。子供心に不思議に思ったものです。
しかし、中学生のお兄ちゃんが、爺ちゃんに勝った必勝法とは…ズバリ定跡でした。

将棋の初手では、動かせる駒は30通りしかありません。
勝負に勝ちたいなら、▲7六歩、▲2六歩の2通り。

プロの世界でも、この2手には▲7六歩が80%。▲2六歩が20%とのデータがあります。
最悪の初手は、谷川九段が▲8六歩、▲7八銀と述べています。
素人が考える最初の一手は、▲7六歩がデータ的に最善の一手となりますね。

定跡とは、様々な歴史や棋譜から研究された
勝つためには、必ず覚えるべき手筋と言えます。
この定跡を、仕事に当てはめれば、ノウハウやセオリーと言えるでしょう。
仕事を早く覚えたければ、先輩や上司の言う事を聞いた方が、
成長は早くなりますよね。
社会に当てはめれば、常識でしょうか?常識ある人は、生き易くもあります。


1985年(昭和60年)12月。プロ棋士になった中学生が誕生しました。羽生善治さんです。
加藤一二三氏、谷川浩司氏に続く、史上3人目の中学生棋士の快挙です。

1983年(昭和58年)、ファミコン発売。
当時、子供たちの間では、ゲームに強い子供は、一目置かれる風潮がありました。
古臭い印象の将棋を、インテリジェンスなゲームと受け取っていたかもしれません。
彼に憧れ、棋士を目指した子供も多く、羽生さん世代を「チャイルドブランド」と呼んで、
大人達は、とこか高をくくっていたように思いますね。
しかし、そんな大人達を撫で切りにし、羽生さんは勝ち続けます。

「定跡というのは、つまり先人の知恵やノウハウの集大成ですよね」
と、羽生さんが問われた時、
「最先端の手法として、現在流行っている手法は、
そうした定跡から見ると邪道という場合も少なくないんです。」と。

従来の形・慣習にとらわれない将棋観こそが、羽生さんの強みだったのでしょう。
まさに、将棋界の超新人類となりました。

1989年。初のタイトル「竜王」獲得。その後、竜王を再び奪取されるものの…
棋王戦・名人戦・棋聖戦・王位戦・王座戦・竜王戦と6冠を勝ち取り、
そして…、1996年2月。迎えた最後の一冠、王将戦…全冠制覇は、まさに目前!!
どんな新手を使い、勝ちを取るのか?固唾を呑んでいましたよ(笑)

そして、超新人類の羽生さんが、最後に繰り出した手は…
将棋に興味を持ち始め小学生の頃、好んで何度も何度も指した「横歩取り」でした。
江戸時代の棋譜にも残されている代表的な定跡のひとつだったのです。

羽生さんは言います。「初心者は、まず真似てみることが大切です」と。
しかし、続けてこう言います。
…そこでとどまってはダメなんですよね。
…「真似」から「理解する」レベルにならなくては
…いけないんです。

…そこまで辿り着けば、先人の教えが「なんだ、そういう意味だったのか」と。

若い頃、意味が分からず、「何でこんな事を」と思ったセオリーや常識は、
知らずの内に自分を成長させていました。
そして、その意味を理解した時…新たな定跡が生まれます。
人生と言う盤面に、最善の一手を打つ事ができるのかもしれません。


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