[昭和39年]夢の超特急「新幹線ひかり号」東京-大阪間開業。

江戸時代、人は江戸から京都までの道程(約500km)を、五十三次して旅をしました。
川という難所を越え…時に空を見上げては、歩いて歩いて…
旅の終わりに待っているあの人を想いながら、15日間の旅をしていました。
明治5年9月12日、新橋駅-横浜駅間で、日本初の鉄道開業。
明治の文明開化の中で、旅の足は、人の足から蒸気機関車に変わっていきます。
明治22年7月1日、東海道線(新橋~神戸間)全通。
15日以上掛かった旅は、約22時間の旅となりました。
それでも、一日かかった長旅です。
疲れや天候の影響で、足取りの速さが変わる江戸の旅とは違い、
明治の旅の足取りとは、蒸気の煙次第です。ポッポー♪と、軽快に運んだことでしょう。
一駅一駅を蒸気に任せ、見る景色の全てが、美しく映ったに違いありません。
明治33年、鉄道唱歌・東海道編発刊。随時、他路線編が発刊され全6集・374番。
七五調のリズムも心地よく、沿線の情緒を歌った鉄道唱歌を聴く度に、
鉄道の旅を愛した、明治の人々の心の高揚感が伝わってきます。
そんな鉄道も、大正・昭和の時代に入り、近代化を推し進める日本にとって、
鉄道は大量輸送、高速輸送を実現する経済の大動脈となっていきます。
パワフルな蒸気機関車D51(デコイチ)は、大量に貨物を運び、
国産電車は、蒸気列車をしのぐスピードで人を運びます。
人と物が動くことで、お金が動く。まさに鉄道は経済力の象徴です。
そして、第二次世界大戦。
敗戦色が強くなった日本への爆撃目標は、もちろん鉄道です。
鉄道網を叩くことは、人と物の流れを止めること。その被害は甚大でした。
敗戦後の日本が、まずやらなければならなかった事、それは…鉄道網の整備。
経済を立て直し、世界に日本を知らしめる夢への一歩こそ、鉄道の復興でしょう。
1964年(昭和39年)10月1日。東京~大阪間、東海道新幹線開業。
世界初、日本初の言われた高速鉄道は、「夢の超特急」と呼ばれました。
時速210km/hで走行し、東京~大阪間を3時間10分で繋ぎます。
乗る者を圧倒するそのスピードは、まさに夢そのものです。
そして何よりも、敗戦した日本と日本人が、
世界で初めての高速鉄道技術をもって、
世界経済と再び対峙する姿勢を示した、
夢の実現の瞬間だったのかもしれません。
しかし、当時の子供達にとっては、反応は少し違います。
「夢の超特急・ひかり号」に、ヒーローと同じような憧れを感じていました。
子供達は、ひかり号のおもちゃが大好きです(笑)
そして、夢で憧れの存在だからこそ、その夢の高速鉄道を陰で支える、
黄色い新幹線「ドクターイエロー」に、(安全)神話を感じてしまうんですね。
滅多にお目にかかれない分、人の心に伝説を作り上げてしまいます。
「黄色い新幹線を見ると、幸せになれるらしい」
「走ってる黄色い新幹線を見たら、願い事をするといいよ」
まるで、「流れ星に願い事」のような伝説ですが、
この歳になっても、やっぱりこの「幸せの黄色い新幹線」伝説を信じています(笑)
新幹線が与えてくれた「夢」の心を、忘れられずに持ち続けているからでしょうか。
そして、新幹線開業当時から、車内で流れるチャイムの音色は、鉄道唱歌です。
明治の昔も、今も変わらない、鉄道で旅する心…。
どれだけ移動の速度が速くなっても、忘れてはいけない心があります。
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