[昭和42年]CM表現の革新、ニットのレナウン「イエイエ」

レナウン「イエイエ」

低学年の頃、子供の事を「ボウ」と呼んでいました。
「そこの坊主」の「ボウ」です。子供の事を坊主と呼び、更に略して「ボウ」です(笑)
「そこのボウ!!」 今考えれば、乱暴な言い方のように思いますが、
敗戦から十数年、まだまだ、その傷は癒えることなく、
一心不乱、遮二無二に頑張る日本の土壌では、
未熟者や経験の浅い役立たずな大人でさえ「坊主」と平然と呼ばれていました。
一人前の国になる事を鼓舞し続けた時代の呼称です。

朝起きると、ガチャコン・ガチャコン…機屋から聞こえてくるリズミカルな音を、
自分も含め、同じ小学校に通う友達の多くが聞いていたように思います。
それぐらい、岐阜には繊維業に関わる仕事が多かったんです。
隣町は、繊維の街で全国に名をはせた尾州・一宮なんです。
学校の帰り道、機屋をしているの友人宅に寄ると、決まって工場を覗きます。
高価で珍しい機械に目をキラキラさせ、
出荷箱のあちこちにある「ボウ」の文字を見つけては、
「ここにもボウがいる。ここにもボウ!!」
坊主(ボウ)である自分が、格下のボウを見つけるように、はしゃいでいましたよ(笑)

ボウとは、所謂、紡績会社の事。
紡績を主力にする会社は大抵「ボウ」が付きます。
カネボウは「鐘淵紡績」。クラボウは「倉敷紡績」。TOYOBOは「東洋紡」。
地元の紡績会社の多くもボウが付いています。

朝早くから夜遅くまで、ガチャコン・ガチャコン…途切れる事の無い音を響かせながら、
この時代の日本は、戦前に主力だった紡績・繊維の世界で、
再起を図ろうとする世界経済への坊主だったのかもしれません。


60年代、天然繊維の時代から、レーヨン、ナイロン、ポリエステルといった合繊の時代へ。
縦糸横糸の織物だけでなく、伸縮性に優れたメリヤス=ニットの時代へ。



1967(昭和42)年春。レナウンから新しいニットファッションのあり方として、
TVCM「イエイエ」を放送開始。
このCMは、日本のテレビCM史上に残る分岐点のような作品となりました。
原色を多用し、サイケ調な広告表現は、
今までの色彩表現にはなかった斬新な試みでした。
その斬新性は世界にも認められ、日本で初めて国外のCM作品賞を受賞し
日本のCM製作のレベルを国際級に押し上げたCMともなりました。

その後の繊維は、80年代半ばまで怒濤の快進撃を続けてゆきます。
日本の経済性成長を立派に支えて、「ボウ」から大人に変化していきました。
しかし90年代以降、繊維業界はその勢いを失い、
中国・東南アジアの繊維生産の台頭で、日本の繊維業界は衰退を余儀なくされます。
2010年には、レナウンは中国傘下の連結子会社になってしまいます。(残念なことです)

再起を図るには「ボウ」から始めればいい。

繊維業界が斜陽を迎える80年代後半から、
ファッション・アパレル向けの繊維だけではなく、斬新な試みが始まっていました。
人を装うのではなく航空機素材・工業素材といった機械を装う繊維へ。
炭素繊維やガラス繊維などの新素材が、鉄に変わる強度と耐性と共に、
今、日本から世界へ発信されています。


近所の機屋は、どうでしょう?今もガチャコン・ガチャコン…音を響かせています。
追求した高品質の織りを武器にして、世界に発信されています。
「ボウ」ではなく磨きの掛かった大人の姿で…。

イエーィ、イェーィ!!トレビアーン!!です。


シルヴィ・ヴァルタン。1965年20歳の初来日で録音し放映された
レナウンのCM「レナウン・ワンサカ娘」耳に残る曲でした(笑)
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