[昭和45年]日本人の心の琴線に触れるメロディー「京都慕情」

ゲコゲコと大合唱していた田植えの時期を過ぎ、
実った稲穂を刈り取る季節になると、リーンリーンと、涼しげな音を奏で始めます。
若い頃は、気付かずにいた虫の音を、歳を取ると妙に敏感に感じるものですね。
昔、虫の音を理解する美的感覚を持った民族を日本人だ!!
と語った文人がいました。
あの怪談「耳無芳一」で有名な小泉八雲です。
日本人の心を知り尽くしたかのような、この一言を発した彼は、
実は、ギリシア生まれのイギリス人でした。名をパトリック・ラフカディオ・ハーン。
フランス・イギリスで教育を受けた後、1890年(明治23年)、
彼はジャーナリストとして日本へ来ます。島根の松江中学で英語教師をしながら、
西洋にはない神秘的な日本の姿を多くの作品に残しています。
20代の頃、山陰を旅行した時、小泉八雲記念館を訪れたことがあります。
そこには、虫の収集家として有名だった彼のあの「虫かご」もありましたよ。
虫の音に、日本人の美を捉える着眼点は、まさに日本人以上に日本人かもしれません。
彼は、新聞記者時代、「オールド・セミコロン」というあだ名を持っていました。
句読点の一つにも拘りを持ち、書き上げた記事に一切手を加えさせなかったと言います。
七五調に代表される日本文学の言葉の韻律・リズムに魅力を感じ、
「語り聞かせる文学」こそ、小泉八雲の世界なのでしょう。
明治の時代、日本は西洋に憧れ、西洋の文化・技術を取り込んでいきました。
真逆に日本の美や心の素晴らしさを教えてくれる西洋人の存在があったとは、
なんとも日本人として恥ずかしい思いがします(汗)
時は流れて、高度成長も一段落し始めた1970年代。
西洋のカルチャーがドンドン日本に入ってきました。
若者文化が花咲き始めた頃、一曲の歌が、西洋に被れ始めた日本人に
日本の和の素晴らしさを呼び起こさせてくれ、曲はヒットを飛ばします。
1970年(昭和45年)12月。渚ゆう子が歌う「京都慕情」です。
日本の和、京都の情緒溢れるそのリズムは、多くの日本人の心を捉えました。
翌年、NHK紅白歌合戦の初出場を果たし、名実ともに昭和歌謡のひとつとなりました。
50代・60代の人にとって、聞けばしんみり、日本を感じずにはいられません。
この日本人の琴線に触れるメロディラインを生み出したのは、
なんとアメリカでロックの殿堂入りも果たした
ザ・ベンチャーズ(The Ventures)なんですね。
日本にエレキブームを巻き起こし、「テケテケ」と称されるそのリズムは
ビートルズと並んで、当時の多くのミュージシャンに影響を与えています。
日本での公演回数は50回を越え、2010年には春の叙勲で旭日小綬章を受章しています。
日本人の心を改めて教えてくれたのは西洋人。
そう、軽々しい表現で結論づけたいところですが、
小泉八雲の文学は、立派な日本文学です。
ザ・ベンチャーズの旋律は、ベンチャーズ歌謡として、
日本歌謡界の一部となっています。
日本の素晴らしさは、日本を愛し、日本から愛された人々が教えてくれます。
日本の素晴らしさを知りたければ、
日本を慕う情が、深くないといけないと言う事のようです。
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