[昭和37年]オン ベイシラマンダヤ ソワカ。海音寺潮五郎の「天と地と」

海音寺潮五郎

「戦国武将で、誰が一番好き?」と良く問いに使われるこの質問に、
私は常に上杉謙信の名を上げています。
戦国時代屈指の名将にして、軍神と呼ばれた謙信の凄さは、
PCゲーム「信長の野望」に顕著に表れています。
武力MAXの謙信で戦えば負け知らずです。このデータ値のご加護のせいで、
複数プレイの際に謙信を選ぶと
「また、謙信。最強だからなぁ~」と揶揄されたものです(汗)
そう言いながら友人が選ぶのは、決まって人材の宝庫・武田信玄です。
ゲームの最終目的が全国制覇である以上、京都に近い織田信長&豊臣秀吉が最善のはず、
なのに私と友人の戦いは、常に主戦場が上信越・関東なんです。
京都制覇など目もくれず、まさに川中島の戦いの如く、
何度も何度も対戦したのを覚えています(笑)

どうして、そこまで上杉謙信が好きになったのだろう?
それは、角川カセットブック「天と地と(海音寺 潮五郎作)」との出会いが
決定的でしたね。

80年代半ば以降、一般家庭にCDプレイヤーが普及し始めていました。
しかし、高級車には搭載され始めたものの、カーオーディオの主流はまだカセットです。
仕事で長時間運転する中、毎度毎度聴き続けた音楽テープにも飽き、
ふと、立ち寄った本屋で見つけたのが、ラジオドラマ仕立てのカセットブックでした。

1962年(昭和37年)。発刊された海音寺潮五郎の歴史小説は、
フィクションの要素を排除し、歴史上の人物や事件を物語風に書き上げた史伝文学です。
明治期には人気のあったこのジャンルも、昭和期にはその人気は衰えていました。
7年後、1969年に大河ドラマの原作となり、脚光を浴びてベストセラーとなります。
ところがその年、「今後一切、新聞・雑誌からの仕事は受けない」といきなり引退宣言。
テレビの力を借りなければ作品が読まれない現状に
不満を持った引退宣言と叩かれていました。
でも、その時すでに68歳ですよ。亡くなる1977年の8年前の事です。



その後、1990年(平成元年)6月。
角川映画から製作費50億円を掛けた大作「天と地と」公開。
海音寺潮五郎の「天と地と」の世界にどっぷりはまりました。

謙信が戦いに挑む時、神と仰いだ毘沙門天に戦勝の加護を祈ります。

オン ベイシラマンダヤ ソワカ
オン ベイシラマンダヤ ソワカ
オン ベイシラマンダヤ ソワカ…


低く地に響くようなこの摩訶不思議な言葉のリズムが、深く深く心に共鳴します。
「オン ベイシラマンダヤ ソワカ」とは、毘沙門天に捧げる真言です。
オンとは、聖音。ベイシラマンダヤとは、毘沙門天。ソワカとは吉祥成就。

オン ベイシラマンダヤ ソワカ
オン ベイシラマンダヤ ソワカ…
oM vaizravaNaaya svaahaa…

商談が頓挫しかけた車中ほど、気が滅入るものはありません。
何度も何度も車の中で、このリズムを聴きました。

上杉謙信の禅問答のようなこの一節もまた、心に響きます。
…運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり
…何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし。
…死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。

戦いに臨む配下の武将や兵士を鼓舞します。
定まった運命などありはしない。負けると分かってる戦いなどはない。
…運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり。と続きます。
そして、最後の一文は、
…武士なれば、わが進むべき道はこれほかなしと、自らに運を定めるべし!!と。

武士ならば武士らしく生ろ!!と、渇を入れる謙信の言葉に何度も勇気をもらいました。
出家願望の強かった謙信だけに、最後の言葉は、自分への渇のようにも思います。

そんな上杉謙信を書き上げた海音寺潮五郎です。
当時の引退宣言の本意とは、自分の命に限りがあることを踏まえ、
ベストセラーと言う流行作家の道を選ぶことではなく、
人物列伝・史伝文学を極めることでした。

わが進むべき道はこれほかなしと、自らに運を定めるべし!!

定めて生きた上杉謙信に憧れ、
それを教えてくれた海音寺潮五郎の生き方にも憧れます。
スポンサーサイト



1 Comments

-

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

  • 2018/08/08 (Wed) 16:53
  • REPLY